9月に入っても猛烈な残暑が続いていました。しかし、今日は涼しい日でした。本日の気温、神戸は22度。ずいぶん涼しくなったものです。最近の傾向ですが、急激な温度差となりますね。今日も急に涼しくなって、少々面食らいました。もう10月ですから、普通はこんなもんですが、できたら徐々に涼しくなって欲しいですね。
そんな秋を感じさせる日は、バッハのカンタータを聴きましょう。過日の述べましたが、カール・リヒターのカンタータ選集、全26枚がやっと入手できました。それで、ぼつぼつ聴いていっています。カンタータはなんと言ってもリヒターだ!と思うことしきりです。といっても、他は鈴木雅明以外の演奏は聴いていないのですかね。それでも、リヒターの演奏は、納得させられることはたいへん多いです。
それで、今回は選集の9で第87番の「今までは汝らなにをわが名によりて」と第11番の「神をそのもろもろの国にて頌めよ」です。アンナ・レイノルズ、ペーター・シュライヤー、エディット・マティス、D・フィッシャー=ディースカウのいつもの面々です。この2曲のカンタータは、比較的構成が大きいものです。その中で、87番は、アルトとテノールのアリアが、11番はアルトとソプラノのアリアが、それぞれ中核をなしています。中でも、アルトのアリアは共に10分前後の長大なもので、最大の聴きどころでしょう。残念なことに、内容についてはまったく分かっていません。こういったことも勉強していけば、より理解が深めるんでしょうが、そんな気になりません。音楽の素晴らしさで十分な気持ちです。
87番のアルトのアリアは、オーボエ・ダ・カッチャというイングリッシュホルンの祖型のような楽器が伴奏を勤めています。11番は弦楽合奏です。87番のオーボエ・ダ・カッチャがアルトをうまくサポートしていますし、11番の弦楽の敬虔な清新さを光背としたアルトが味わい深いです。加えて、アンナ・レイノルズはとてもいいです。バッハのカンタータでのアルトの位置は大きいものがあります。これは受難曲などでも同様ですね。11番にはソプラノのアリアもありますが、これはどうもアルトに比べればよくないです。まあベルカントオペラなどとは違い女声の技巧や高音を競うものでもないですから、カンタータにおいては、アルトの方が無理のない歌唱としてじっくりと聞き込むことが出来るんでしょうか。アンナ・レイノルズは、ヘルタ・テッパーのあとを十二分に埋めるアルトとして立派であります。くせがなく澄んで汲めどもつきない歌声は、いいですねえ。
そんな秋を感じさせる日は、バッハのカンタータを聴きましょう。過日の述べましたが、カール・リヒターのカンタータ選集、全26枚がやっと入手できました。それで、ぼつぼつ聴いていっています。カンタータはなんと言ってもリヒターだ!と思うことしきりです。といっても、他は鈴木雅明以外の演奏は聴いていないのですかね。それでも、リヒターの演奏は、納得させられることはたいへん多いです。
それで、今回は選集の9で第87番の「今までは汝らなにをわが名によりて」と第11番の「神をそのもろもろの国にて頌めよ」です。アンナ・レイノルズ、ペーター・シュライヤー、エディット・マティス、D・フィッシャー=ディースカウのいつもの面々です。この2曲のカンタータは、比較的構成が大きいものです。その中で、87番は、アルトとテノールのアリアが、11番はアルトとソプラノのアリアが、それぞれ中核をなしています。中でも、アルトのアリアは共に10分前後の長大なもので、最大の聴きどころでしょう。残念なことに、内容についてはまったく分かっていません。こういったことも勉強していけば、より理解が深めるんでしょうが、そんな気になりません。音楽の素晴らしさで十分な気持ちです。
87番のアルトのアリアは、オーボエ・ダ・カッチャというイングリッシュホルンの祖型のような楽器が伴奏を勤めています。11番は弦楽合奏です。87番のオーボエ・ダ・カッチャがアルトをうまくサポートしていますし、11番の弦楽の敬虔な清新さを光背としたアルトが味わい深いです。加えて、アンナ・レイノルズはとてもいいです。バッハのカンタータでのアルトの位置は大きいものがあります。これは受難曲などでも同様ですね。11番にはソプラノのアリアもありますが、これはどうもアルトに比べればよくないです。まあベルカントオペラなどとは違い女声の技巧や高音を競うものでもないですから、カンタータにおいては、アルトの方が無理のない歌唱としてじっくりと聞き込むことが出来るんでしょうか。アンナ・レイノルズは、ヘルタ・テッパーのあとを十二分に埋めるアルトとして立派であります。くせがなく澄んで汲めどもつきない歌声は、いいですねえ。
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