もう6月も終わり。今年も梅雨は最後の盛り上がりを見せるんでしょうか。大雨はなしにしてもらいたいものです。
今回はブルックナー。ギュンター・ヴァントです。ヴァントは、1990年代になって急にブレイクして、後半以降には、神がかった人気となりました。そのヴァントがブレイクする前。1980年代の録音がいくつか残っていますが、その中から、1987年8月22・23日シュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭に客演した際のドイツ・リューベック大聖堂でのライブ録音。ブルックナーの交響曲第8番です。私はこの8番とほぼ同じ時期に出た9番が、ヴァントのブルックナーの初体験でした。このCDを買ったころは、ヴァントはそれほど有名ではなく、このCDもRCAから出てますが、deutsche harmonia mundiの表記が見え、原盤はそこからのものなんでしょうか。そして、この8番と9番の演奏はたいそう気に入ってまして、これから、ヴァントのベートーヴェンやブラームス、シューベルトを聴くことになっていきました。しかし、当時はまだブルックナーは北ドイツ放送交響楽団とのものは、この2曲以外はなく、ケルン放送交響楽団のものが出てました。このCDのジャケットは、リューベック大聖堂の尖塔ですが、これもたいそう気に入ったものでした。
それはさておき、この演奏ですが、この後ヴァントは数年後にこの2曲を再録します。それは、リューベック大聖堂の残響が気に入らなかったそうです。このCDを初めて聴いたとき、うーん独特の音やな、と思いましたが、それが残響だったんですね。6秒強という長い残響は、ヴァント自身も余りよく思っていなかったようで、数年後の最録音することになったようです。一般的にも残響が評価を低くしているようです。確かに、多くの楽器が重なったようなときには、残響があまりよくないんですが、そうでもないときには却って独特の音響を醸しだし、それが荘厳さや神々しさに結びつく場合が多いと思っています。特に金管がいい音にブレンドされています。第3楽章アダージョ、悠久の美しさを感じます。ほほ30分の長丁場ですが、優しい弦と管の織りなす極上の世界は、格別です。第2楽章のスケルツオや第4楽章の冒頭なども実にいいです。そして、その残響がどっしりと腰の座った演奏をより安定した音にしているようです。ヴァントの演奏の好きなところは、実に安定している音づくりです。第2楽章の乱舞するスケルツオでも、決して揺るぎない音とテンポなんです。ヴァントのブルックナーのスケルツオは絶品で、快感すら感じますが、その理由はそんなとこにあるんですね。北ドイツ放送響も、渋い音を出していますが、実に充実しています。
最近、この8番といい、5番といい、長い曲もまったく長く感じませんし、終わってももう一度最初から聴きたいと思います。こんなこと、まったく思わないときもあるのに、おもしろいですねえ。
今回はブルックナー。ギュンター・ヴァントです。ヴァントは、1990年代になって急にブレイクして、後半以降には、神がかった人気となりました。そのヴァントがブレイクする前。1980年代の録音がいくつか残っていますが、その中から、1987年8月22・23日シュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭に客演した際のドイツ・リューベック大聖堂でのライブ録音。ブルックナーの交響曲第8番です。私はこの8番とほぼ同じ時期に出た9番が、ヴァントのブルックナーの初体験でした。このCDを買ったころは、ヴァントはそれほど有名ではなく、このCDもRCAから出てますが、deutsche harmonia mundiの表記が見え、原盤はそこからのものなんでしょうか。そして、この8番と9番の演奏はたいそう気に入ってまして、これから、ヴァントのベートーヴェンやブラームス、シューベルトを聴くことになっていきました。しかし、当時はまだブルックナーは北ドイツ放送交響楽団とのものは、この2曲以外はなく、ケルン放送交響楽団のものが出てました。このCDのジャケットは、リューベック大聖堂の尖塔ですが、これもたいそう気に入ったものでした。
それはさておき、この演奏ですが、この後ヴァントは数年後にこの2曲を再録します。それは、リューベック大聖堂の残響が気に入らなかったそうです。このCDを初めて聴いたとき、うーん独特の音やな、と思いましたが、それが残響だったんですね。6秒強という長い残響は、ヴァント自身も余りよく思っていなかったようで、数年後の最録音することになったようです。一般的にも残響が評価を低くしているようです。確かに、多くの楽器が重なったようなときには、残響があまりよくないんですが、そうでもないときには却って独特の音響を醸しだし、それが荘厳さや神々しさに結びつく場合が多いと思っています。特に金管がいい音にブレンドされています。第3楽章アダージョ、悠久の美しさを感じます。ほほ30分の長丁場ですが、優しい弦と管の織りなす極上の世界は、格別です。第2楽章のスケルツオや第4楽章の冒頭なども実にいいです。そして、その残響がどっしりと腰の座った演奏をより安定した音にしているようです。ヴァントの演奏の好きなところは、実に安定している音づくりです。第2楽章の乱舞するスケルツオでも、決して揺るぎない音とテンポなんです。ヴァントのブルックナーのスケルツオは絶品で、快感すら感じますが、その理由はそんなとこにあるんですね。北ドイツ放送響も、渋い音を出していますが、実に充実しています。
最近、この8番といい、5番といい、長い曲もまったく長く感じませんし、終わってももう一度最初から聴きたいと思います。こんなこと、まったく思わないときもあるのに、おもしろいですねえ。
もともとベルリンの音があまり好きでないというのもありますが、ベルリンのほうはヴァントの冷たい感じが前面に出てしまって・・・
で、今いまになってみると、自分はヴァントの演奏ってあまり好きじゃのかも?と思っています。もっと砕けたというか、なんというか、うまくいえないのですが、そう、野生的なほうが好きです。長いことクナーを聴きすぎてしまって、その呪縛からなかなか抜けられないのかもしれませんが・・・
マタチッチやシューリヒトが好きですねえ。
そうそう、ぜんぜん期待しないで買ったけど、びっくりするような名演がありますよ!
アーノンクール/コンセルトゲボウのロマンティック。こんなに爽やかで、上品なブルックナーはめったに聴けない。この指揮者にして、意外や意外・・・お持ちですか?
ベルリンの演奏は、自分にはちょっと立派すぎるんです。ブルックナーの響きって、片田舎のおじさんみたいな感じがあるでしょう?それが、練りに練られて、なんだかたいそうご立派な演奏に仕立て上げられたっていう感じがするんですねえ、考えすぎかしら・・・
荘厳で、なにか宗教儀式のような気がする。
そういうブルックナー像ってのも確かにあるが・・・
ヴァントの次にマタチッチ/N響のを聴いてみますと、これはもうぜんぜん違う音楽。クナーの再来のような演奏なわけです。で、どちらがどうということは、非常に難しい訳ですけれど、マタチッチの演奏にある土俗的なユーモアみたいなものが、ヴァントにはあまり感じられない。それが冷たい感じになっているのかも。
ヴァントはあまりにブルックナーを突き詰めすぎていないかしら。聴いていると、なんだか怖くなってくる。暗いのかも・・・でも、精神的に非常に深い演奏であることが間違いなく、感動は大きいです。
要は好き嫌いなのかな・・・
とりとめないコメントですみません。