『教養は「事典」で磨け ネットではできない「知の技法」』
成毛眞著、光文社(光文社新書)、2015年
ちょっとした調べものなら、たいていはネット検索で済んでしまう昨今。事典・辞書をじっくり繰ってみるということが少なくなった、という向きも多いのではないでしょうか。かく言うわたくしめも、事典・辞書で何かを調べるということがめっきり減ってしまっていて、机の上にある事典類はすっかりホコリをかぶってしまっているというありさまです。
事典を引くことが減った理由には、ネットでの検索が増えたことに加え、だいたいの意味ならわかっているからわざわざ事典を取り出して引くまでもないや、で済ませてしまうということもあるかもしれません。ある程度の意味さえわかっていればそう不都合もなかろう、という感じでしょうか。もっとも、わたくしの場合たいていそれは「わかっているつもり」にしか過ぎず、あとで恥をかくことも少なくないわけですが・・・。
そんなわたくしに、事典類はすごく面白くて使えるものなのだ、ということを久々に思い起こさせてくれたのが、この『教養は「事典」で磨け』です。
著者は実業界ピカイチの読書家にして、書評サイト「HONZ」を主宰している成毛眞さん。本書では、数多くある辞書・辞典・事典・図鑑の中から精選した、56冊の面白い事典類を紹介しつつ、楽しみながら教養を身につけるための事典類の活用法を伝授しています。
本書のメインである、成毛さんオススメの事典・図鑑類を紹介した第2章は、見開き2ページに書影と書誌データ、紹介文に加えて、取り上げた事典の本文ページの見開き写真、さらには新書とのサイズ比の図が盛り込まれていて、それぞれの事典の特徴をわかりやすくつかむことができます。
事典は引くものではなく、一般書のように面白く読むものだ、という成毛さんがセレクトしている、56冊の事典・図鑑類。中には白川静氏の『常用字解』(平凡社)や、『理科年表[ポケット版]』(丸善出版)といったよく知られているものもありますが、わたくしも初めてその存在を知った事典類も数多くありました。いずれも調べものに使うためのレファレンスブックとして以上に、読みものとしての興味と知的好奇心が湧いてくるようなラインナップとなっています。
トップバッターで紹介されている、国立民族学博物館が編纂した『世界民族百科事典』(丸善出版)は、日々のニュースで伝えられている民族がらみの国際問題などを理解するための情報源として重宝しそう。また、約5000もの比喩表現をテーマごとに分類した『分類 たとえことば表現辞典』(東京堂出版。ここも面白そうな事典類をたくさん出している版元ですね)や、“てにをは”といった助詞を挟んでどんな言葉を結びつけることができるのかを教えてくれるという(たとえば「真相」だと「口走る」「問い質す」「穿つ」といったように)『てにをは辞典』(三省堂)あたりは、文章を書く上でもかなり役に立ちそうです。
見て楽しみながら知識を得られる図鑑類にも、面白そうな物件がいろいろ。「ポスト構造主義」だの「プラグマティズム」だのといった、考えるだけでもややこしそうな哲学の用語や概念をわかりやすい図とともに解説した『哲学用語図鑑』(プレジデント社)や、キリスト教美術に込められた意味を、写真やイラスト、漫画を駆使して解説した『鑑賞のためのキリスト教美術事典』(視覚デザイン研究所)は、馴染みにくい対象を自分に引き寄せ、興味を拡げるのに良さそうです。また、美しい写真と洗練されたブックデザインでさまざまな種類の花を紹介した『ENCYCLOPEDIA OF FLOWERS 植物図鑑』(青幻舎)は、成毛さんがおっしゃるように自宅に飾ったり、プレゼントするのにも向いていそうです。
知識を得るのではなく、純粋に読みものとして楽しむための変化球的事典もラインナップされています。筒井康隆さんの『現代語裏辞典』(文藝春秋)は、「コンピューター」を「して欲しいこと以外は大概のことができる機械」、「注目」を「他に見るものがない」といった調子で、森羅万象の事柄を筒井さんならではの毒とエスプリで定義した、まさしく筒井版の『悪魔の辞典』。かつては筒井さんにハマりまくっていたわたくしでしたが、5年前に出されていたこの辞典は迂闊なことにノーマークのままでした。これは早く買っておかねば、と慌てて注文して購入し、現在少しずつ読んでいるところです。いや~、これはすごく面白いわ~。
オススメ事典類をズラリと列挙した第2章に先立つ第1章では、引いたり調べたりするだけにとどまらない「読んで面白い本」である事典類を楽しみながら、ネットに頼っているだけでは得られないような、大人にとって必要な教養を身につけるための方法論が語られています。
なるほど!と思ったのは、事典による小刻みな知のインプットが与える効果について述べているところです。疲れていたりして読書が思うように進まないようなとき、ひとつの項目が短く完結している事典を読むことでウォーミングアップするのもひとつの手だ、というのです。また、広く浅く小さな知識を仕入れることで、ものごとを俯瞰して捉えることができるようにもなる、と。
「ひとつの物語に狭く深くのめり込むと、それはそれで楽しいのだが、近視眼的になりがちだ。一方、雑多な知識をつまみ食いしていると視野が広がり、それに伴って楽しみの幅も広がっていく。
そのためボクは、何かに集中しすぎているときや気分転換が必要なときには、事典を開くことにしている。そこにある多様性が、自分が取り組んでいることの小ささを気づかせ、大きなことを考えるきっかけを与えてくれるからだ。」
そうだよなあ。ひとつのことに集中、熱中することはもちろん悪いことではないのですが、しばしばそのことで視野が狭いものになりがちでもあります。そんなとき、まったく異なる分野の知識や情報に接することは、アタマに良い刺激を与えてくれたりいたしますからね。この考え方は大いに参考になります。・・・一方で、あらゆる本をバリバリ読みこなしておられる成毛さんでも、読書が進まないようなときがあるんだなあ、という妙な感慨も少々湧いたりいたしましたが。
事典は大きければ大きいほどいいという成毛さんですが、その一方で価格が手頃で集めやすい文庫、新書版の事典をコレクションし、並べることを提案している箇所にもそそられるものがありました。成毛さんもおっしゃっていますが、ちくま学芸文庫や講談社学術文庫には事典としても面白そうな物件がけっこうありますからね。
確かに、ネットによって迅速に、さまざまな情報に接することが容易にはなりました。ですが、大人にとって必要なしっかりとした教養は、やはり一朝一夕に身につくというわけではないんですよね。そもそも、求める情報を的確にネットで検索する上でも、もととなるしっかりした教養や知識が不可欠だったりいたしますし。
じっくりと時間をかけて、入念なチェックを経ながら編まれる事典や図鑑によって、少しずつでも着実に大人の教養を身につけることの楽しさに、あらためて気づかせてくれた一冊でした。
そういえば以前、自分にも事典などのレファレンス・ブックにハマっていた時期があったなあ、ということを、本書によって思い出しました。10年近く前、ノンフィクション作家・日垣隆さんの『使えるレファ本150選』(詳しくは下のほうで)に紹介されていた事典などのレファレンス・ブックの中から、面白そうなものを何冊か買い集めたりしたものです。
『教養は「事典」で磨け』を読んで、再び「事典熱」のようなものがぶり返してきたわたくし。手元にある事典類をかき集め、机の上にどーんと並べました。これからまた少しずつ、面白そうな事典を買い集めていこうと思っております。
・・・それにしても、こうやって見てみると古くなって買い替えなきゃいかんものもあるよなあ。『新明解国語辞典』なんてもうすでに第7版が出ているというのに、手持ちのやつはいまだに第3版ときているしな(苦笑)。
【関連本】
『使えるレファ本150選』
日垣隆著、筑摩書房(ちくま新書)、2006年
✳︎現在は品切れ
わたくしに最初の「事典熱」を与えてくれたのが、この『使えるレファ本150選』です。辞書、事典、年鑑、便覧、図録、ハンドブック、白書、統計集、教科書といったレファレンス・ブック(レファ本)からセレクトした150点を(日垣さんならではの視点と語り口で)一挙に紹介した一冊です。書名にあるように、読んで楽しめるというよりも、ものを書いたり調べたりする上で「使える」レファ本が取り上げられていますが、読んでみると面白そうかも、という物件もけっこうあったりいたします。
刊行からすでに10年近くが経っていて、内容的には古くなっているところもあったりして(まだ『現代用語の基礎知識』と『イミダス』と『知恵蔵』が出揃っていた時期です・・・)、そのためか現在は残念ながら品切れ。ですが、言葉はもとより政治、経済、社会、流行風俗、文学、歴史、科学などを幅広くカバーした網羅性は魅力ですし、「ほー、こんなのもあったのか」ということを知るだけでも、けっこう参考になりました。古書市場で見かけましたら、どうぞ。
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