吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

偉人評伝(01)『ブッダ(シャカ・ムニまたはゴータマ・シッダルタ)』

2017-06-15 17:55:30 | 偉人の足跡に学んでみようか

 新シリーズ(?)なんてものになるかどうか、まだわかりませんが・・・・。

 『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』といいます。
 偉大な人物の行跡を紹介するコーナーをつくってみることにしました。

 第1回は『ブッダ』です。

 仏教の創始者ということになっているのですが、ブッダの教えは今の仏教とはかなり異なります。

 私が知る限り、ブッダはあの世について述べたことはありません。極楽や地獄について語ったこともありません。
 これはスゴク特異なことだと思うのです。

 大抵の宗教は死後の世界について語るのです。

 イエス・キリストは『富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい』と言って喜捨を勧めます。『誰も見たことがない「あの世」の幸せのために現世利益を捨てよ』と説くのです。悪い言葉で言えば、これ、究極の詐欺ではありませんか。

 あの、ソクラテスでさえ毒杯をあおる前に(これから行くであろう)理想の世界について延々と語るのです。
 誰しも死ぬのは怖いのです。でも、考えてみれば「人は死を体験できない」ので、恐れるようなものではないのです(←ヴィトゲンシュタインの言葉『生きている人間は死を体験できない』から引用しています)。
 『死ぬ瞬間ってチクッと痛いんじゃないか?と思うとそれが怖い』なんてヒトもいますが・・・・。

 本題に戻ります。ブッダが考えたのは『人はなぜ苦しむのだろう』ということです。
 四苦八苦という言葉がありますが、本来これは仏教の言葉です。
 四苦とは『生・老・病・死の4つの苦しみ』・・・老・病・死は分かり易いですが、ブッダによれば、生も苦しみです。
 これに「愛別離苦(あいべつりく)」,「怨憎会苦(おんぞうえく)」,「求不得苦(ぐふとくく)」,「五陰盛苦(ごおんじょうく)」の4つの苦しみを合わせて全部で八苦となります。

 「愛別離苦」愛する人と離れる苦しみ、転勤や死別などで愛する人と離れなければならない『それは苦しみである』というのです。「怨憎会苦」憎い相手と会わなければならない苦しみ、例えば会社に行くと嫌な上司とまた顔を合わさなければならない『それは苦しみである』というのです。「求不得苦」求めても得ることができない苦しみ、卑近な例ですが、新しいスマホが欲しいんだけど、お金がない『それは苦しみである』というのです。「五陰盛苦」は『ものごとに執着することで生じる苦しみがある』というのです。

 これらの苦しみから自由になる方法・・・それこそが『執着を捨てよ』という極意なのです。
 執着こそが苦しみの原因であり、愛さえも執着であるというのです。これを実践したブッダは王子という立場を捨て、妻を捨て、ひとり修行に励みます。何やら人生の極北のような思想です。そして行きついた答えが『あらゆる執着を捨てること』もはや究極の断捨離です。
 
 あろうことか自分の教え(教義)にも執着するなとブッダは言います。
 『私の教えは川を渡るための筏(イカダ)のようなものだ。向こう岸に着いたら筏を捨てるがいい』と。
 こんな恐ろしいことを言う教祖がいるでしょうか?まず他には例がないと思います。

 ブッダは立ち寄った先で出された食事が原因で(たぶん)食中毒になり、この世を去ります。
 弟子たちは大いに嘆き悲しみますが、執着を捨て去ったブッダはひとり静かに死んでいきます。


 長谷川等伯『仏涅槃図