世にも恐ろしい本なのです。
作者イエールジ・コジンスキーは24歳のときアメリカに移住したポーランド人(英語は全く話せなかった)なのですが、移住から8年後にこの本(実質上の処女作)の出版にこぎつけ、4年後にはアメリカ最高の文学賞である全米図書賞を獲得した、という驚異の作家です。
カバーの紹介文を転載してみましょう。
第二次大戦が始まると、少年は両親の手で東欧の辺鄙な田舎に疎開させられる。それが少年の悪夢の始まりだった。少年の黒い髪と黒い眼はユダヤ人とジプシーの特徴だった。
捕らえた鳥に色を塗り、仲間のもとへ帰してやると、その鳥は異端視され、ついにはつつき殺されてしまうという。
少年はまさに"色を塗られた鳥"だった。養母の死後、少年は売られ買われ、見知らぬ村々を転々とする。その先々で少年を待ち受けるのは、無知な村人による言語を絶する虐待であった。
戦争がもたらす狂気、暴力と異常と悪夢の世界を残酷なまでに描きつくし、全世界に反響を巻き起こした、鬼才コジンスキーの処女長編。
どうですか?凄そうでしょう?
※イエールジ・コジンスキー『異端の鳥』角川文庫 / 昭和57年7月10日初版発行
少年が村々を転々としなければならないのは、無知な村人たちが少年の黒い眼を『邪眼』だと信じている所為です。
村に凶事が起こると、迷信深い村人たち(全員が金髪碧眼です)はそれを『邪眼を持つ少年を匿った所為だ』と信じて私刑(リンチ)に掛けようとするのです。そしてドイツ軍(金髪碧眼のアーリア人部隊です)が占領する村々では、異常な心理状態に陥った粗野で無知な村人たちの間で次々と凄惨な事件が巻き起こります。
預けられた粉屋の家で亭主が妻の不倫を疑い、若い作男を不具にする描写など特に凄惨です。
(以下の一文は閲覧注意です)。
粉屋はひと蹴りで女をはねのけた。そして女がトマトの皮をむきながら、腐った部分をえぐりとるときのようにすばやい動作で、スプーンを若者の目に突っ込み、えぐった。
割れた卵から流れ出る黄身のように、目が彼の顔から跳びでて、粉屋の手を伝って、床の上に転がり落ちた。それから、血でおおわれたスプーンはもう一方の目にとびこみ、一瞬のうちに目をえぐってとび出てきた。その目はまるで次にどうしてよいか戸惑うようにしばらく頬にのっかっていた。そして、最後にはシャツの上を転がり、床の上に落ちたのだった。
残酷な描写が淡々と描かれ、モザイクのように繋がってボッシュの描く地獄絵図のような光景を現出させます。この世のものならない悪夢のタペストリーですが、これが戦時下の現実というものです。
※ヒエロニムス・ボス『キリストの地獄への降下』
なにかしら事件が起こるたび、少年は『流れ星』ひとつを手に村から脱出します。
『流れ星』とは釘でいくつもの穴を開けた空き缶に1メートル程の針金の輪を通し手に持てるようにしたもので、これに火種を入れて振り回すと消さずに持ち運ぶことができ、獣除けにもなるのです。
しかし行く先々で少年は言語に絶する虐待を受けます。
助けられた神父に紹介された農家では、天井の鈎にぶら下がらせられ、その部屋に凶暴な犬(名前をジュダスといいます)が放たれたりします。
ぼくはジュダスを見守っていなければならなかった。体を楽にしてぶらさがっているときには足は地上から2メートル足らずで、ジュダスなら容易に跳びつける。どのくらいこんなふうにしていなければならないかぼくにはわからなかった。ガルボスはぼくが落ちてジュダスに襲われることを願っているのだろう。
(中略)
ぼくの肩は感覚を失ってきた。ぼくは重心を変え、両手を開いては閉じ、ゆっくりと両足の力を抜き、危険にも床近くまでおろした。ジュダスは隅っこで眠っているふりをしている。しかし、ぼくは彼同様にそれがわなだということを知っていた。ぼくにはまだ力が残っていることも、彼がぼくに跳びつくよりも先に足を上げられることを知っていた。それで、ジュダスはぼくが疲れきるまで待ったのだった。
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家の外では毎日ドイツ軍の手によって次々とユダヤ人たちが汽車で強制収容所に送られて行きます。
村人たちはそれをを見物し、逃れようと跳び降りて死んだ者の遺体から服や金目のものを頂戴するのを日課としています。
列車から跳び降りても、血まみれの死体になればまだいい方で、多くはバラバラの肉片になってしまいます。また、運よく生き延びてたとしても村人たちに捕らえられ、身ぐるみ剥がれてドイツ軍に差し出される運命なのです。
汽車が通るたびに、そのあと悪魔の、復讐の念に燃えた顔をした亡霊の大部隊がこの世界に入りこんでくるのを見た。百姓たちは死体焼き場から立ち上る煙は天にまっすぐのぼっていき、神の足元を敷く柔らかなカーペットとなり、それは汚れることがないといった。ぼくは神の御子を殺したことで神に償うためにこれほど大勢のユダヤ人がはたして必要なのだろうかと思った。この世はやがては、人を焼くための、ひとつの大きなかまどになるだろう。僧侶も、すべては滅び『灰から灰に』帰する運命にあるといっていたではなかったか?
※アウシュビッツ第一強制収容所の正門(アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所)
少年は生きるための自分なりの正義を身につけて、この地獄を生き抜きますが、手酷い虐待を受け続けたために言葉を失ってしまいます。やがてドイツ軍の敗退とともに赤軍に救助され、運よく両親にも巡り合うのですが、この地獄をくぐり抜けてきた少年はもはや元の生活に戻れるはずもありません。
この本は、この少年が、もう逃げなくてもいいんだと実感し、言葉をとり戻すまでの物語です。
映像化は絶対不可能、これは本でしか味わえない得難い経験でもあります(実際に経験するのは御免蒙ります!)。改めて本を読むことの意義を実感させてくれる得難い本です。
戦争の惨禍を知るためにも多くのヒトに読んで欲しい本です。
ぜひ読んでください。おすすめします。