『認知症』という言葉が広まったのは1994年のことだといいます。
この本は3度めの文庫化で初出は1992年なのです。まず、そのことに驚かされます。
それまで『認知症』は『老人性痴呆症』と呼びならわされていたのです。
認知機能に対する症状という括りであるのはもちろん、『痴呆』に差別的な響きを感じ取ったヒトたちが、これを何とかしようと思っての命名だったと思われます。
この小説では、認知症の老人たちが住まう老人ホームで次々と殺人事件が起こるというケースが扱われているのです。
※山田正紀『恍惚病棟』祥伝社文庫(2020年7月20日初版第1刷発行)
カバーの紹介文は次の通りです。
聖テレサ医大病院の老人病棟に入院している認知症の老婆が突如、行方不明になった。近所で倒れているところを病院アルバイトの学生・平野美穂が発見するが、直後に老婆は死亡。やがて同じ病院の老人が次々に不可解な事故に巻き込まれていく。不審に思い、調べ始めた美穂は「死者から電話がかかってくる」という奇妙な証言を老人たちから得るが・・・。驚愕の医療ミステリー。
※『亡くなったはずの身内からの電話を受けた』と老人たちは証言する。
さて、推理小説とは『証拠の積み重ねによって、巧妙に仕組まれた犯罪のトリックが暴かれる』その快感を求めて読み進むものですが、これらの本の中には読者をミスリードする証拠が巧みに散りばめられているものがあります。
アガサ・クリスティーの作品にどうも私が馴染めないのは、誤った証拠をさも真実めかして差し出されてしまうからで、物語の最後によくある『実は誰それの証言が嘘だった』などという種明かしは『トリック以前の反則ではないか?』と子供ゴコロに憤ったものでした。
当然、大人は嘘をつくものですが、では老人はどうでしょう?
認識していることが事実とは違う、こんな場合も多いと思われます。
現代のミステリーにはこうした『認識の信憑性』を取り上げたものも多いのです。
※京極夏彦『姑獲鳥の夏』講談社文庫(1998年09月14日発行)
京極夏彦『姑獲鳥の夏』などはその典型で『主人公の目の前に死体が転がっていたのに異常な心理状態のために気がつかなかった』というトリックは果たして『アリ』なのか、議論を巻き起こしたものでした。
本作(恍惚病棟)の証言は認知症を患った老人によるものとなっています。
当然、事実は歪曲され誤認され、実に不確かな証言の数々が現れます。
きちんとした証言のように思って読んでいると突然『私のほんとうの年齢が65歳だなんて、よくそんなことがいえたものだ。わたしはまだ22歳の処女なのだ』というフレーズが出てきて『認知症老人の主観で述べられた証言』だったことを思い知らされます。
当然、事件はいったい何が起こっているのかも判然としないまま進展します。まるで悪夢です。
※アルツハイマー型認知症のおもな症状
老人ホームでおもちゃの電話を使って脳の活性化を促している自称『テレフォン・クラブ』の老人たちが次々と亡くなります。事件なのか事故なのかも判然とし難い状況の中では、推理を進めてもその根拠自体がゆれ動く・・・これでは事件の全貌などわかりっこありません。
※老人たちはそれぞれ『テレフォン・クラブ』でオモチャの電話を使って自分だけの会話を楽しんでいる。
しかし認知症老人たちは、まるで荒唐無稽な話をしているわけではなく、本人にとっては実に意味のある叙述をしているのです。その意味が分かり、事件が繋がっていくと、実に意外な事件の真相が明らかになります。
現れてくる真実・・・️パソコンや携帯電話がまだ一般に普及していなかった時代に既にこんなことを考えていたのかと、作者の慧眼に驚かされます。
※ジグソーパズルがピタッとハマるように事件の全貌が明らかになる
2020年という未来(現代)をも先取りした『アッ‼️』と驚く事件の真相にはただただ感嘆します。ぜひ読んでください。オススメします。
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