吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

上野千鶴子『おひとりさまの老後』分春文庫(2021年8月10日第26刷)

2021-10-06 13:34:00 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護
 ベストセラー『在宅ひとり死のススメ』に先行する作品ですが、これが文庫化され、版を重ねています。

上野千鶴子『おひとりさまの老後』文春文庫(2021年8月10日第26刷)

 要は『結婚していようがいまいが、だれでも最後はひとり』という著者の主張が世に出た本になるだろうか。

 もちろん結婚してもパートナーと同じ時に死ねるワケではない。子供だってアテにはならない。亡くなって誰にも気づかれず、かなりイタんだ状態で発見されるのは人様に迷惑でもあろうから、密でマメなコンタクトを取る人間関係を作っておくようにする等、今となっては常識的なことが書いてあるワケです。
 死んだ時に備えて生きているうちに(迷惑を掛けない範囲で)自分の希望は伝えておきましょう、そういうことを勧める本です。

(こ2らは本の内容から離れて私の感想です。)
 『ヒトはいつか必ず死ぬ』これは大昔から語られてきた哲学の命題です。古代ローマの遺跡にも『メメント・モリ(死を忘れるな)』と書かれたモザイクが残っています。
 ヒトはすべて生まれた時から執行期日未定の死刑宣告を受けているのです。
 それを思えば一日一日を大切に生きようと思えてきます。

 さて、死んだらヒトはどうなるのでしょうか?あの世ってあるのでしょうか?
 もし、そんなものがあったとしたら有史以来亡くなった膨大なニンゲンで、いまやギュウギュウの満室状態(❕)ラッシュ時の満員電車もかくやという密の極みに違いありません。ありえないですね。

 東洋の考えのように『輪廻転生するなら、プラスマイナスが均衡してありえる』かも、ですが、キリスト教のように『最後の審判』を待っているなら『全部でいったい何千兆人やねん❗』とツッコミを入れたくなります。

 私は大病をして一時『死』を身近に感じましたが、その感覚からいえば『スイッチが切れたように』完全なブラックアウトでした。夢も見ず、気がついたら病院のベッドで目覚めていました。

 ニンゲン死んだら無になる、が私の実感です。たぶん本当に死ぬときには脳の細胞が酸欠で死滅するワケですから、一種のエクスタシーを感じて気持ちいいはずです(タバコを吸ってクラッとするカンジ?ランナーズ・ハイとかに近い?セックスのエクスタシーも含めて、これらはすべて脳の酸欠状態が作り出す快感なのです)。

 で、死んだら火葬場でアタマからバーナーで焼かれて灰になります。これでジ・エンド。死んだら意識もないのでただ灰になるだけです。

 で、死ぬときは意識がなくなるので、実際にはヒトは死を体験しません。一人称の死は体験できないのです。

 哲学者ヴィトゲンシュタインの言葉を掲げてこの記事の結びと致します(↓の写真をご参照ください)。
 皆さんも『避けられない死』について日頃から考えておくようにオススメします。


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6 コメント

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モバさまへ (くりまんじゅう)
2021-10-06 14:00:46
一昨年 東大の入学式で語られた上野千鶴子さんの祝辞が
話題になりました。そしてベストセラーになった『おひとりさまシリーズ』
は読んだら死期が早くなる気がして まだ未読です。

上野さんは独身なんですね 知りませんでした。
身に着けておられるものが とてもおしゃれです。

いつかは来るではなく 間もなく来る が近くなった死ですが
希望の死に方としては 気持ちええわぁと
絶頂間を感じつつ 息苦しくなく逝きたいです。

逝ったあとは灰になり 桂浜の龍馬像の沖あたりに撒いてほしいです。
エンディングノートへ書いておきます。
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Unknown (管理人)
2021-10-06 20:22:12
くりまんじゅうさま、コメントありがとうございます。最近、死を身近に感じることがあって、買い求めてしまいました。
いざ、部屋の中を見回してみると『モノが多い❕』これでは、後を整理するヒトが大変でしょうから、これからはミニマルな生活を目指さなければならないな、と反省しきりです。
あと、のこされた家が『事故物件』にならないよう、玄関を一歩出てから死ぬようにしなければ(笑)。
発見も早いでしょうし(笑)。
ハッピーにこの世からおさらばできるとイイですね。
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Unknown (サラ☆)
2021-10-09 21:13:13
ヴィトゲンシュタインの言葉、印象に残りました。ありがとうございます。
いまを生きるというのは、永遠の枠組みの中にいることと同義。
この場所に存在するというのは、宇宙のありとあらゆるものと共存すること。
そして、人は死ぬ瞬間を認識することはない。人ができるのは、生を意識することだけ。したがって意識としては死ぬことはない。いつまでも生の範疇にある。
というような解釈でいいのでしょうか?
むずかしいですね。
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Unknown (mobilis-in-mobili)
2021-10-10 09:10:48
ヴィトゲンシュタインは『世界と生はひとつである』という意味シンな言葉を残しています。いずれにしても『世界』を認識するのは個々のニンゲンの意識なので、ヒトの意識が無くなる『死』は体験できない、と解釈していいと思います。
あるかどうかわからない『あの世』を考えるよりも、いっそ潔い考えかと・・・。

さあそれもまた自然の数ぞ、夜が過ぎ朝の来るがごとくに(『ああ無情』から、ジャン・バルジャンの墓碑銘)。
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「無」....。 (kiyasume)
2021-10-11 21:45:03
確かに、死んだら「無」だろう
と、私もそう思います。

天国やら地獄は人間が生み出した、、
ある意味。生きる上で必要な思想だと

そう思いますよ・・・・・。

ただ不思議な事もあるのも事実です、
此処で、私が今から3年前に見た、
夢か幻覚があるので言いますが....。

病院で入院中に、寝て居て。
周りが何か騒がしいと思って、、
目を覚ますと、ベットが平原の中心に
置かれて居て、周りには白塗りで褌1丁
の男たちが鋭い刃物を持って、
丁度、土方巽の暗黒舞踏見たいに

踊り狂って居ました・・・・・・。

そして、これは不思議な事なのですが、、
入院中に寝て居たら、死んだ猫の前足が
腕を叩いて居ました・・・・・。

私はあの世から死んだ猫が心配して
来てくれたのかとも思いました。

そう言う事もありました・・・・・。

だから一概には私は無いとは、
言い切れません。

でも恐らく、あの世は無いのでしょう。
私が見たのは幻覚で、猫は私の意識が、
具現化した、これも幻覚でしょう。

ただ万物の創造主は居ると思って居ます。
いや、そう思わなければ人は生きて行けない
ものです、少なくとも私は弱いですから。

確かに3年前にマンションで意識を失った
時には「無」でした。まあ、考えて仕舞い
ます。そして、宗教は困って神を求めて
居る人には、救いだとも思います。。。

人は色々ですよね・・・・・。

さてと調子が悪いので、また少し寝ます。
もう9時40分だから。早いけど就寝時間です。

それでは、また来ますね。。。( ´ ▽ ` )
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Unknown (管理人)
2021-10-11 22:45:49
kiyasumeさん、コメントありがとうございます✨
死んだら無になる、とは確かに恐ろしいことです。死んだヒトと時を同じくして、そのヒトの認識していた世界は無くなる、のかもしれません。
それでもヒトは死後の世界をもとめます。
毒杯を前にしてソクラテスはこれから行くであろう死後の世界について延々と語ります。
これがニンゲンの知恵というものでしょうか❔
ドストエフスキー作『カラマゾフの兄弟』において酔いどれのフョードル親父の『神はあるか?不死はあるか?』という問いに対してアリョーシャは答えます。
『神がなければ文明もありません』と。
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