しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

慰問袋の通知

2015年02月13日 | 昭和元年~10年
慰問袋の通知
「矢掛町史」より転記


炎熱焼くが如き北満の荒野に於いて、神出鬼没の匪賊と戦い、辛労に対し真に感謝の情に堪えません。
然るに近時、渡満以来一回の慰問袋も届かないとのことであります。
慰問袋(住所氏名御記入)御調製のうえ来る8月20日まで小学校へお届け下さいませ。
御内容は皆様の御随意ですが、左記の品々が最も適当だと存じます。


1・蚤取粉の如き殺虫剤
1・シャツ・サルマタの類は冬物
1・晒木綿の越中褌
1・タオル仁丹類
1・地方の絵葉書
1・小学生等の慰問文
1・腐敗の虞きものを選ぶ事


昭和7年8月
矢掛町長  桑木○○
矢掛町婦人会長  山本○○
矢掛町女子青年団長  中本○○
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家の自殺

2015年02月13日 | 平成元年~平成31年
中公新書から転記する。
中公新書「暮らしの世相史」--中央公論社


1983年に刊行された「生活財生態学」によると日本の平均的家庭での「神棚」の所有率は14%、「仏壇」は25%だった。
その10年後1993年の追跡調査では神棚10%、仏壇21%と衰退をしめしている。

その理由として、
「祖先崇拝」のイデオロギーがなくなってきた事情があり、
「祭祀」の責任者が少なくなってしまったという事情がある。


柳田国男のいう「家の自殺」はすでに大量発生しはじめていて、将来にわたり加速されてゆくことにまちがいあるまい。


ふりかえってみれば、有史以来、日本列島では数百億の人間が生まれ、そして死んでいった。
ついこのあいだまで日本では鳥葬、林葬などがごくふつうで、
人間の死体は谷や山林に捨てられていた。


今ある墓はせいぜい二世紀ほどむかしのものが大部分だし、いまつくられた墓だってあと100年もすれば無縁化する運命にある。


「家永続の願い」などは、ここ一世紀たらずの幻想だったのであろう。
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寡黙の伝統

2015年02月13日 | 昭和21年~25年
中公新書から転記する。

中公新書「暮らしの世相史」--中央公論社



寡黙の伝統


むかし日本人は寡黙であった。しずかであった。

そのことは国立国語研究所が昭和24年から25年にわたって福島県白川村、山形県鶴岡市でおこなった言語生活調査からもあきらかである。

この調査によると、鶴岡市の場合、一人の店主が一日に話す「自立語」(単語)の数は2891語であった。
これをラジオ「小沢昭一的こころ」で時間分析して当てはめると、平均してわずか10分足らずだった。

そればかりか「はい」「うん」「今日はいい天気ですね」という発話が半分だった。
この程度しか口をひらいていなかった、というのが半世紀前の日本人の言語生活だった。


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