昭和12年7月7日の盧溝橋事件をきっかけに、日中は全面戦争に突入した。岡山の陸軍歩兵第10連隊は徐州戦から漢口戦まで参加した。
これは初年兵が野戦手帳に書いた日記の一部である。
岡山を出発
いよいよ壮士・先輩の元に往くことにあいなる。
5月3日、来たるべき日はきた。待ちに待った出征の日は来た。
なつかしい兵舎を後にし、戦友と別れをつげ自動車にて一路駅頭に向かう。
早朝より降る雨は、僕らの出征を祝福するかのごとき。
岡山駅プラットホームを離れた。時まさに岡山駅零時16分。
歓送の音楽は万感の音、耳に満ち、ただ一筋に心はおどる。
汽車は一路山陽本線を南下しつある。
なつかしの母校(城見小学校)を眺め、小学校の歓送に感謝の涙にむせびつつ、汽車は大門駅に着く。
1時30分。御両親に最後の別れを告げ故郷を後に一路汽車は進んだ。
昭和13年5月6日
済南に着く
広漠たる地平線、遥かなる地平線を汽車は、一路大陸へ大陸へ。
には日章旗と五色がひるがえっている。
子供たちは鉄道付近にきたりて、「バンザイ」「バンザイ」と叫びつつ、僕らを歓迎してくれる。
東洋の大河・黄河の鉄橋に着く。
その鉄道は破壊されている、無事汽車は通過し、午後7時済南に着いた。
遠くのほうで銃声・砲音が聞こえる。
しかし、待ちに待った戦場へいよいよ到着したのだ。
戦跡、戦傷者の輸送、各隊のものものしい警備。
顔、みな悲壮な決心がうかがわれた。流弾が地上をかすめる。実に物騒なところだ。赤柴隊長殿の英姿を仰ぎて我らも元気を出す。
昭和13年5月15日
光山懸城に入城
雨天の中、光山懸城に入城した。
信陽攻略の要所だ。あちらこちらの家陰、木陰に、支邦軍部隊の死体がわれ等の目にはいる。思えば徐州出発以来、悪天候と戦いつつ、あの日この日も休み無く。
血の攻撃、実戦悪夢。
敵の攻撃、悪戦苦闘で、今ようやく、光山懸へ入城するのだ。
その雨につけ、照るにつけ、思うのは故郷のことだ。
友は、兄弟は如何に。
だがそのような実に恥かしい。
ただ戦闘の束の間にちらつくホンの一瞬だ。後6日で我が氏神様の祭典だ。
ありがたき神様のご加護により生き長らえていることを祈って今日を休む。
昭和13年9月25日(光山懸城内にて)
大別山越え
昨日の疲れも何時の間にやら本日も行軍。
一路漢口へ。漢口へ。
いよい一人、二人と、地上をうらうらと、さまよいつつ、倒れつつ行き進む。
色あせる顔、死人の如く。
吾等、身も心も疲れきり、ただいっしょに一歩づづ脚をすすめている様子だ。
薬物は無く、ただ死を近くに感じるのみ。今は我故郷と、現在を比す。
風に散る黄葉はひらひらと、吾がままならぬご奉公なりけり。
漢口入城(武漢三鎮陥落)
上陸以来、一路漢口へ、漢口へと血の出るような進軍行軍。
出発以来5日目に漢口城に入城できた。
揚子江が流れ政務・行政・軍事・交通・経済・外務の中心地たるや、その建物もまた雄大かつ壮大だ。
しかし高く聳える高層の上に、日章旗がひるがえる光景は実に美しい。
この日章旗をあおぎ見るとき、共に皇軍の一員として無事入城できたことは実に嬉しい。
しかし戦火なかばにして倒れ、多くの鬼と化した戦友の英霊に対して忠心より哀悼の意を表す。
昭和13年12月2日(漢口にて)
これは初年兵が野戦手帳に書いた日記の一部である。
岡山を出発
いよいよ壮士・先輩の元に往くことにあいなる。
5月3日、来たるべき日はきた。待ちに待った出征の日は来た。
なつかしい兵舎を後にし、戦友と別れをつげ自動車にて一路駅頭に向かう。
早朝より降る雨は、僕らの出征を祝福するかのごとき。
岡山駅プラットホームを離れた。時まさに岡山駅零時16分。
歓送の音楽は万感の音、耳に満ち、ただ一筋に心はおどる。
汽車は一路山陽本線を南下しつある。
なつかしの母校(城見小学校)を眺め、小学校の歓送に感謝の涙にむせびつつ、汽車は大門駅に着く。
1時30分。御両親に最後の別れを告げ故郷を後に一路汽車は進んだ。
昭和13年5月6日
済南に着く
広漠たる地平線、遥かなる地平線を汽車は、一路大陸へ大陸へ。
には日章旗と五色がひるがえっている。
子供たちは鉄道付近にきたりて、「バンザイ」「バンザイ」と叫びつつ、僕らを歓迎してくれる。
東洋の大河・黄河の鉄橋に着く。
その鉄道は破壊されている、無事汽車は通過し、午後7時済南に着いた。
遠くのほうで銃声・砲音が聞こえる。
しかし、待ちに待った戦場へいよいよ到着したのだ。
戦跡、戦傷者の輸送、各隊のものものしい警備。
顔、みな悲壮な決心がうかがわれた。流弾が地上をかすめる。実に物騒なところだ。赤柴隊長殿の英姿を仰ぎて我らも元気を出す。
昭和13年5月15日
光山懸城に入城
雨天の中、光山懸城に入城した。
信陽攻略の要所だ。あちらこちらの家陰、木陰に、支邦軍部隊の死体がわれ等の目にはいる。思えば徐州出発以来、悪天候と戦いつつ、あの日この日も休み無く。
血の攻撃、実戦悪夢。
敵の攻撃、悪戦苦闘で、今ようやく、光山懸へ入城するのだ。
その雨につけ、照るにつけ、思うのは故郷のことだ。
友は、兄弟は如何に。
だがそのような実に恥かしい。
ただ戦闘の束の間にちらつくホンの一瞬だ。後6日で我が氏神様の祭典だ。
ありがたき神様のご加護により生き長らえていることを祈って今日を休む。
昭和13年9月25日(光山懸城内にて)
大別山越え
昨日の疲れも何時の間にやら本日も行軍。
一路漢口へ。漢口へ。
いよい一人、二人と、地上をうらうらと、さまよいつつ、倒れつつ行き進む。
色あせる顔、死人の如く。
吾等、身も心も疲れきり、ただいっしょに一歩づづ脚をすすめている様子だ。
薬物は無く、ただ死を近くに感じるのみ。今は我故郷と、現在を比す。
風に散る黄葉はひらひらと、吾がままならぬご奉公なりけり。
漢口入城(武漢三鎮陥落)
上陸以来、一路漢口へ、漢口へと血の出るような進軍行軍。
出発以来5日目に漢口城に入城できた。
揚子江が流れ政務・行政・軍事・交通・経済・外務の中心地たるや、その建物もまた雄大かつ壮大だ。
しかし高く聳える高層の上に、日章旗がひるがえる光景は実に美しい。
この日章旗をあおぎ見るとき、共に皇軍の一員として無事入城できたことは実に嬉しい。
しかし戦火なかばにして倒れ、多くの鬼と化した戦友の英霊に対して忠心より哀悼の意を表す。
昭和13年12月2日(漢口にて)