しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

達磨船(農船)

2016年07月11日 | 父の話
管理人が少年の時、茂平の波止にぶかっこうした手漕ぎの百姓船が一艘あった。
実は、その船は三軒が共同で使用する農船だった。

談・2000.6.24

やとうとさぶろうさと三人で船をもっとった。
水落の畑に行くもんが共同で買うとった。

芋を積んで帰ってきょうた。

芋を積んでもどるんで、
漁師の船のように長いんでなく、横に広い。
大きょうて低い。
ごちいんで、よう行かないのう(遅い)。
手漕ぎ。

とんまの土手で干して、船をつっぱってごみをもってきて焼きょうた。

漁師の船はスマート、網の間をまわらにゃあいけまあ。

使わんようになって(波止場に)ころがしとった。
そしたらじきに腐る。
ほっといたら腐る。
それで(船は)焼いた。

買うたのは・・・?
昔からあったからのう。
買い替えたりしょうたんで、いつからあったのかわからん。
おじいさんの時からあった。
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茂平の漁師

2016年07月11日 | 父の話

談・2000.6.24


(漁師だけで生活はできたか?)

漁師だけのはもとやんだけ。
あとは皆、百姓と兼務じゃ。

朝はよう(海へ)いき、
茂平の場合はほとんどが坪網。
壺網が岬にみなあった。
それで泳いできたやつをかかるようにしとった。
ほとんど年中網をしとった。

一年来たら場所を変えるんじゃ。
クジを引いて場所を変ようた。

苫無の釜
てっつぁん方の前にもあった。
こーちゃん方の下、にも二つあった。
網が腐らんように釜へ入りょうた。


コールタール
端の方のロープをコールタールをつけとった。
網をひっぱるところ。
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