しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

お伊勢参り

2016年07月13日 | 父の話
談・2004.7.4


お伊勢参り
じいちやん(管理人の祖父)が若い時分はいっぺんは参らにゃあようた。
ワシの時にゃあ小田郡から参るんで、各地区から集まって団体で行きょうた。
名古屋から参り紀伊半島をまわり大阪へ出ようた。



石槌信仰
はくさんが居る時は盛んじゃった。
いっつぁんやこ、(石槌参りの後も)帰ってから一杯寄ってやりょうた。


四国巡礼
(時間がかかる、カネがかかる)おらん。



大門駅への道

高石垣から山へ登る道。
次に片山んとこから堂面へ下りずに行く道。
三番目が坂里じゃ。



茂平の道直し

各ヒラで出て道を直しょうた。(もちろん無償)
新川の掃除・・終わった後、集会所へ寄って酒を飲みょうた。酒と菓子・パンの費用がちいとばあ村から出ようた。新川は茂平全体の水路じゃったけえ。地域の楽しみ,酒の楽しみで大勢出ょうた。



田んぼ二毛作
小麦が多い。
ざぶたは植えることができんので、そのまま。




畑の灌漑

(水路から畑へ灌漑用水して使用していたか?)
せん。
水路・川は田んぼの水として使用することになっとる。
権利者も補修工事に出てやりょうる。


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城見の火事(連絡網)

2016年07月13日 | 父の話
談・2004.7.4

城見の火事(連絡網)

(火事だ!という時、電話が無い時代はどうゆう連絡方法だったのか)

半鐘のサイレンで(畑仕事中などの)消防団員に知らせ、
集まってくる。
集まったら火事の場所はどこどこゆうて説明し、行きょうた。
用之江や大冝の山火事に行きょうた。
(城見以外の火事は)行きょうらなんだ。
昔は(電話はないが)連絡をようしてくりょうた。

(半鐘の鐘は使っていたのか)
サイレンといっしょに鳴らすことがあった(笑)。
火事が近い時は・・サイレンも半鐘も鳴らさず・・・自転車でしらせあぎょうた。



茂平の乳牛

2~3年じゃ。止めた。
※昭和35年頃



干しイチジク

初めは練炭で一晩焚きょうた。
温度や時間で汁の出ようが多かったりした。
硫黄を使うようになった。
ウチには硫黄と練炭で焚くようにした。
神戸からの注文はウチに来るようになった。
(遠慮して)里庄駅から送りょうた。

作るのはわり方むずかしかった。
門へ杭を打って干すのも、手間がかかりょうた。

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井笠鉄道を押す

2016年07月13日 | 父の話
談・2004.6.13

井笠鉄道を押す
追分(大井村駅の手前)の坂道、
笠岡で乗る時(貨物と客車で編成)「今日は(貨物の)荷が多いのう」思うたら押しょうた。
「今日は押してくれにゃあいけんど」言わりょうた。めったに要請はなかった。


冷蔵庫がないとき
野菜・・・風通しのええへ置く。
さかな・・その日のうちに煮たり、焼いたり。
刺身・・正月ぐれい。


買い物
ちゃわん・・・(重いが)手に提げてもってもどる。
器をもって買う・・とうふ、さかな。
酒・・吉本がもってきょうた。



果物

昼の2時ごろまで集荷所に持っていかにゃあいけん。
それを過ぎたら自分で(福山の市場へ)もっていかにゃあいけん。時々もっていきょうた。
朝ちぎる、
昼ちぎる、
晩にちぎって明けの朝だす
済んだら、やれやれじゃ。


着る服・履物

百姓すると脛坊主がよう破れる。
継ぎ当てしながら着ようた。
百姓はそうでもせんともったいねぇ。


麦藁帽子と帽子
ふだんは麦藁帽子、つばが邪魔になる仕事のときは帽子。


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