今月末、東北3県(青森・秋田・岩手)に旅行する。
ぜひとも渋谷村の「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」の歌碑の場所に行ってみたいと思っている。
少年時代に聞いた「北上夜曲」とイメージが重なる。
石川啄木の歌は日本人の感性にぴったり合うような気がする。
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「岩手県の歴史」 山川出版
(2018.6.30)
石川啄木は本名を一(はじめ)という。渋谷村に明治19年2月に生まれ、明治31年盛岡中学にはいり、3年の時にストライキの首謀者の一人となり、学校改革に活躍した。
翌4年退学して上京し、文学に志したが病をえてはたさず、帰盛して詩活動に従う。雑誌「明星」にのせられ、与謝野鉄幹の命名で”啄木”と称するようになった。
明治38年
「あこがれ」をだし、これによって結婚費用を支弁しようとしたが、収入は一文もなく、盛岡に新居をかまえた。
明治39年
渋谷村の代用教員をつとめた。
明治40年
校長排除のストライキを指導し免職となり、一家離散。
妹をつれて北海道函館にて小学校の代用教員となり、その後転々と北海道の新聞社を歩き、社会主義運動にひかれ、上京の志おさえがたく
明治41年
上京し
明治42年
朝日新聞社に入社。
明治43年
「一握の砂」を発刊した。
明治45年
4月13日死亡(26才)。6月に「悲しき玩具」刊行となる。
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