しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

赦す・・・・・

2022年06月18日 | 昭和11年~15年

渡辺錠太郎大将が、もし国の指導者であったなら、戦争はふせげたのではないか、
という史家は少なくない。

母はよく、「昭和11~12年頃がいちばんよかった」と話していたが、
それは母個人の思いの他に、経済や暮らしの指標が有史以来頂点を示していることでもよくわかる。

その昭和11年2月に「2.26事件」は起こった。
翌年、昭和12年には「日中戦争」が始まった。

渡辺大将が斃れたのは国家の悲劇のはじまりとなった。
遺子・和子さんの人生テーマは「赦す」ことになった。

 

(2.26事件)

 

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雑誌「文藝春秋」 2022年新年特別号

「100年の100人」 渡辺和子 
皇道派の親玉は赦さない  保坂正康


私が当時88才の渡辺さんに会ったのは2016年1月初め。
著作『置かれた場所で咲きなさい』がベストセラーになっていた。

父親の渡辺錠太郎(陸軍の教育総監)が二・二六事件で青年将校らの襲撃を受けて殺害された時、
彼女がそれを目撃した。当時、九歳だった。
戦後は修道女となり、大学教授として次代の子女の教育にあたる中で、
人生のテーマは「赦す」ことが柱になっていたと思う。
その「赦す」とはどういうことなのか。

理事長室で、私は実に四時間も話を聞いた。
ご自身なりに人生を振り返っておきたいとの思いがあったのだろう。
渡辺さんは、父親を殺害した青年将校や兵士は「赦す」という心境に達していた。

私は一歩踏み込んで、
彼らの背後にいた軍事指導者について質した。
彼女の答えは鋭かった。

「私には、二・二六事件の背景にいた人は『赦す』の対象外です」
皇道派の真崎甚三郎について、
青年将校を煽てた責任をとっていないと具体的に語り、
その処し方を毅然として批判した。
その瞬間、
彼女がこの事件の全てを的確に理解し、
「赦す」範囲を明確に決めていることがわかった。
私はその心中に触れて涙が出そうになった。
この年、12月30日に彼女は人生を閉じた。

 

 

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2015.4.4
岡山市北区伊福町・ノートルダム清心女子大学

 

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彼の天井は見えない

2022年06月18日 | 令和元年~

大リーグ・エンジェルスの大谷選手は、投げて・打って、
日本とアメリアの両国の野球ファンを楽しませている。

プロ野球の名監督とは、下位から上位の強豪チームにしたとか、
優勝何回した、という監督に冠している。
プロ野球100年で画期的な”二刀流”をファンの前に実行した栗山監督には、
どういう称号がつくのだろう?

10年ほど前、日本ハムが大谷選手を二刀流でプロ野球、次のステージのメジャーリーグを目指す方針を決めた瞬間から、
マスメディアの非難と疑問の報道は、その一切が栗山監督に向かった。

 

(2022.6.18山陽新聞)

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雑誌「文藝春秋」 2022年新年特別号

「100年の100人」 大谷翔平 
彼の天井は見えない  栗山英樹元日本ハムファイターズ監督

翔平とは二度と一緒に野球をやりたくない----。
それが僕の今の正直な気持ちです。

僕は、初めて高校生の彼を見たときから
「投打どちらかを無くす選択は絶対にありえない」と考えていました。

当時から最高の投手に、
そして最高の打者になる可能性を秘めていた。
ただ、それだけに僕は、翔平と野球した5年間
「この才能を潰してしまったら、僕ごときが監督を辞めるくらいでは済まないことになる」
というプレッシャーをとてつもなく重く感じていたんです。

あれだけ「出力」が高い選手には常に怪我の不安が付きまといます。
一球投げただけでも、打つ、走るという一瞬のプレーでも一発で故障してしまう恐れがあった。
それほど二刀流は身体への負担が大きく、
僕は彼の身体の心配ばかりしていました。

翔平とはベタベタした関係ではいたくない。
「全て自分で決めろ。
野球の神様はお前が決めたことを愛する」
実際、登板スケジュール、試合出場、練習法など、彼は全部自分で決めています。

日本人がメジャーでホームラン王争いをするというのは確かに凄い。
でも、翔平は投手なら20勝、
打者なら60本はホームランを打てる選手だと思っています。
彼の天井はまだまだこんなものではありません。

 

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