場所・岡山県津山市西新町 ”重伝建・城東町並み”地区
(箕作阮甫先生像)
「街道をゆく36」 司馬遼太郎 朝日新聞社 1992年発行
作州津山(岡山県)に、箕作(みつくり)というめずらしい姓の家があり、
代々秀才を出したことで知られる。
稀姓ながら、たいていの百科事典に、すくなくともつぎの代表的な5人の名は出ている。
年代順にならべると、
箕作阮甫 1799~1863
箕作秋坪 1825~86
箕作麟祥(りんしょう) 1846~97
箕作佳吉 1857~199
箕作元八 1862~1919
その源流は作州津山藩の藩医箕作丈庵という人にあったようで、
その子阮甫から名声が大いにあがった。
阮甫は蘭学を学び、医家としての著作も少なくない。
時代がなお啓蒙期だったから、手引書のような著作である。
が、時代は阮甫の医学より語学の方を必要とした。
天保10年(1839)、幕府の天文方の訳員としてまぬかれた。
対外問題がやかましくなってきたため、幕府として西洋語のできるものを諸藩からひきぬかざるをえなくなったのである。
阮甫の半生は、そのまま幕末対外交渉史だった。
嘉永6年には長崎でロシア使節に応接し、
翌年の安政元年には東奔して下田でロシア使節と会い、同年アメリカ使節とも折衝した。
秋坪は、阮甫の養子になり、阮甫同様、洋学をもって幕府につかえた。
要するに箕作姓は、一族をあげて幕府と明治政府のために肝脳を労しぬいたといっていい。
(箕作秋坪先生像)
撮影日・2022.4.7