しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「奥の細道」行春や鳥啼魚の目は泪  (東京都・千住大橋)  

2024年08月07日 | 旅と文学(奥の細道)

2022年7月、初めて千住大橋を渡った。
京成電鉄の「千住大橋駅」からJR「南千住駅」まで歩いた。
道中は至るところ芭蕉や日光街道や大名行列の絵図等があって、
千住に来たという実感がした。

 

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「奥の細道の旅」 講談社 1989年発行

千住大橋 

文禄三年(一五九四) 隅田川で最初に架けられた木橋。
当初は単に大橋と呼ばれたが、下流に両国橋ができたので、千住大橋と呼ばれた。
長さ91.7m、現在の鉄骨の橋は関東大震災の復興事業で昭和2年に架け替えられた。
芭蕉が送ってくれた人々と、涙の別れをしたのもここである。

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旅の場所・東京都足立区~荒川区  千住大橋        
旅の日・ 2022年7月13日                  
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「芭蕉物語」  麻生磯次 新潮社 昭和50年発行


舟が千住に着いたのは巳の下刻(午前十一時頃)であった。
ここは奥羽街道、日光街道の最初の宿駅で、江戸日本橋から陸上二里八丁のところである。
隅田川にかかっている千住大橋は文禄三年(一五九四) 五月伊奈備前守が奉行として普請したもので、
橋上は人馬が絡繹として絶間がない。
橋から一、二丁隔てたところに駅舎があった。
魚市や野菜市で賑わっていた。
芭蕉たちはここに暫く滞在して、 諸所の席に招かれたりして、江戸の名残を惜しんだ。

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「芭蕉物語」  麻生磯次 新潮社 昭和50年発行

いよいよ千住を出発したのは、三月二十七日(陽暦五月十六日)の早朝であった。
芭蕉と曾良の扮装は、一蓋の菅笠、一本の杖、墨染の衣に頭陀袋、脚絆、草鞋というような道心者姿であった。
いよいよこれから前途程遠い旅に出るのだと思うと、さすがに芭蕉の心も動揺した。
どのみちこの世は夢幻のようなもので、今別れを惜しんでいる千住の町筋も、幻のにすぎないと思うと、
離別もそれほど悲しむべきことではないかも知れない。
だがいざ巷に立って別れようとすると、いまさらのように惜別の涙がこぼれおちるのであった。
芭蕉は、

行く春や鳥啼き魚の目は泪

という句を、矢立の筆でさらさらとしたためて見送りの人に渡した。
折から陰暦三月下旬で、春ももう暮れて逝こうとしている。
春が去り行くのを惜しんで、鳥は悲しげに啼き、魚の目は涙でうるおっているように見える、というのである。
魚の目を見ると、実際泣いたようにうるんでいるが、芭蕉は千住に上って店頭の魚を見て、そういう感じをうけた。
その印象がこういう表現をとらせたのである。
惜春の情をよんだ句であるが、それだけではなく、見送る人々に対する惜別の情がこめられている。 
見送る人を魚に、自分を鳥になぞらえるというような強い意味をもたせたわけではないが、
「行く春」という言葉に、旅に行くという気持を託し、旅に行く人もそれを見送る人も、一緒になって離別の涙を流して別れを惜しんでいる、
そういう情景を句にしてみたのである。
芭蕉は涙もろい詩人で、その心情は折にふれてはげしく昂揚することがあったが、その涙にはいぶし銀のような静けさがあった。
それは沈痛な人生観によって濾過された珠玉のような涙であった。

いつまで別れを惜しんでも、際限のないことなので、芭蕉は人々に向って、
「それでは行ってまいります」と挨拶した。
人々は涙をそっとかくすようにして、
「道中お気をつけて」
「どうぞ、御機嫌よう」
「お帰りをお待ちしております」
と口々に別れを惜しんだ。

芭蕉も曽良も後ろ髪を引かれるような思いで、みちのくの旅の第一歩を踏み出した。
日光街道は北へ北へとのびているが、東海道とは違って、なんとなくうらぶれた感じである。
道路も狭く、凹凸もあって、小鮒などを焼いている店さきには、草がぼちゃぽちゃ生えていた。
しばらくして後ろをふりかえってみると、見送る人々は帰ろうともせず、釘づけされたようにじっと立っていた。
自分たちの後ろ姿が見える限りは、いつまでも見送るつもりなのだろう。


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「街道をゆく・本所深川」  司馬遼太郎 朝日新聞社 1992年発行

千住大橋

千住大橋がみえてきた。隅田川がまがっている両岸の低地を千住という。
江戸から奥州(あるいは日光や水戸)へゆく最初の宿があったところである。

江戸時代、幕府は隅田川に五橋を架けた。
千住大橋、吾妻橋、両国橋、新大橋、永代橋。

千住大橋は江戸時代を通じ、幾度か架け替えられたが、洪水で流出すということは一度もなかったといわれる。
家康が架けた千住大橋は、架けられてから二百七十四年後の慶応四年四月十一日、
最期の将軍慶喜がこの橋をわたって退隠の地である水戸にむかったとき、江戸がおわった。


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