しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

茂平の暮らし・戦中

2020年07月17日 | 父の話
父の話 談・2000.8.27
戦中



出征兵士、県境の別れ

用之江の県境まで見送りに来てくれる。
見送りに行くのは地区の役員や婦人会の世話役などが行く。
兵隊へ行くのは死に行くようなもんじゃ。
「ありがとう」と、
お礼のあいさつをして大門駅まで行く。

汽車が通るまで待ってくりょうる。
汽車から手を振る。

(入営先が岡山の場合が大半で、
①大門駅から岡山駅に向かう。
②村境の場所が、たまたま鉄道と近接している。
そのため、
城見村の場合は村境の送別に加え、汽車の兵士へ旗を振る送別がプラスされる)


消防組・警防団

今の消防団じゃ。
組頭(くみがしら)ようた。
戦争になって消防から警防団に変わった。
消防ばあでなく役が増えた。


満洲移民

この方は大島、大島(の山岳地域)は土地が少なかったんで百姓ができん。



昭和19年 ヒマの栽培

下剤じゃ。
茂平にゃあ作りゃあせなんだ。ゆう事をよう聞くところは植えとるが。

(管理人記※戦時中は大政翼賛会より「航空エンジンの潤滑油」として奨励されたとある)



防火管制

街灯もつけたらいけんようた。
(田舎の家庭では)もとから点きょうらん。
家の中も外も真っ暗じゃ。



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