昨日は珍しく、TVドラマのことについて書いた。
わたしは普段、TVドラマはほとんど観ない。
TVの映像と言うのは、“編集の妙”だと思っている。
たとえば、普段の舞台である「ここ」から、事件の舞台へと“飛ぶ”場合。
画面には空港から飛行機が飛ぶ映像、あるいは駅から新幹線などが発車する映像が流れる。
でも、実際はそれらに乗って移動しているわけではなく、あとで現地でロケを行う(あるいは、現地に似せたセットで代用する)。
また、出演者が、たとえば自転車や車に乗って移動を始めるとする。画面に流れるのは、自転車を漕ぎ出す場面・車を発車させるシーンである。
実際には乗れなかったり、運転免許を持っていない可能性があるが、それはこの際どうでも良い。
問題は、“たどり着いた場所”が、自転車ではとても行けないような場所(数十分から数時間かかる)や、土地に詳しくないととてもたどり着けないようなややこしい場所にも、あっという間に“飛んでい”たり。
もちろん、道中なんぞ描いたところで、ドラマの内容にとってはどうでも良いわけで、実際に行けるかどうかも、また同じようなものだろう。
一番の問題点は、同じ場面はまとめて撮影し、あとで編集(組み替え)している点である。
映画であれTVドラマであれ、物語の進行どおりに撮影するはずもないから、当たり前と言える。
でも、「前後の映像にまったく関係なく撮影された映像の繋がり」と考えてしまうと、なかなかドラマを観ることができない…。
最近(というほど近くもないが)のゲームでは、キャラクターが普通に喋っている。昔は文字だけが表示される味気ないものであったが、今はまるでアニメを観ているようにも感じられる。
ゲームの声の収録は、実は、一人ひとりが個別に行なっている。
アニメと違って、選択肢ごとにセリフが変わるので、台本はすごく部厚い。
この果てしないセリフを、映像とともに組み替える。
個別に収録されたセリフの組み合わせで、かけ合いをしているような感じになるが、そう考えると、ちょっとゲームはやりにくい。
アニメの場合は、物語の進行どおりに収録が進む。
スケジュールの都合などで、個別に収録する人もいないわけではないが、基本的には出演者が揃って、台本の順番どおりに収録される。
こんなことを気にしている人間もそうはいないだろうが、一時にしてしまうと、なかなかTVも観られやしない。
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わたしは普段、TVドラマはほとんど観ない。
TVの映像と言うのは、“編集の妙”だと思っている。
たとえば、普段の舞台である「ここ」から、事件の舞台へと“飛ぶ”場合。
画面には空港から飛行機が飛ぶ映像、あるいは駅から新幹線などが発車する映像が流れる。
でも、実際はそれらに乗って移動しているわけではなく、あとで現地でロケを行う(あるいは、現地に似せたセットで代用する)。
また、出演者が、たとえば自転車や車に乗って移動を始めるとする。画面に流れるのは、自転車を漕ぎ出す場面・車を発車させるシーンである。
実際には乗れなかったり、運転免許を持っていない可能性があるが、それはこの際どうでも良い。
問題は、“たどり着いた場所”が、自転車ではとても行けないような場所(数十分から数時間かかる)や、土地に詳しくないととてもたどり着けないようなややこしい場所にも、あっという間に“飛んでい”たり。
もちろん、道中なんぞ描いたところで、ドラマの内容にとってはどうでも良いわけで、実際に行けるかどうかも、また同じようなものだろう。
一番の問題点は、同じ場面はまとめて撮影し、あとで編集(組み替え)している点である。
映画であれTVドラマであれ、物語の進行どおりに撮影するはずもないから、当たり前と言える。
でも、「前後の映像にまったく関係なく撮影された映像の繋がり」と考えてしまうと、なかなかドラマを観ることができない…。
最近(というほど近くもないが)のゲームでは、キャラクターが普通に喋っている。昔は文字だけが表示される味気ないものであったが、今はまるでアニメを観ているようにも感じられる。
ゲームの声の収録は、実は、一人ひとりが個別に行なっている。
アニメと違って、選択肢ごとにセリフが変わるので、台本はすごく部厚い。
この果てしないセリフを、映像とともに組み替える。
個別に収録されたセリフの組み合わせで、かけ合いをしているような感じになるが、そう考えると、ちょっとゲームはやりにくい。
アニメの場合は、物語の進行どおりに収録が進む。
スケジュールの都合などで、個別に収録する人もいないわけではないが、基本的には出演者が揃って、台本の順番どおりに収録される。
こんなことを気にしている人間もそうはいないだろうが、一時にしてしまうと、なかなかTVも観られやしない。
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