銀河後悔日誌、つぶやき

2017年10月22日より新発足しました。よろしくおねがいします。

15年目の折り返し

2006-08-22 23:58:38 | 常用平易な日々
 今年も8月22日がやって来た。


 小・中学校の同級生に、Iという男がいる。もしかしたら保育園から一緒だったかも知れない。
 それはともかく、Iの家は営繕屋であり、今でも丘の上に看板が見える。

 わたしは、今もそうだが、友人が少ない。夏休みや冬休み、普段の遊び相手が不在の時には、よくIの家に遊びに行ったものだ。


 Iの家の向かいの並びに、Hの家があった。Hは下の名を「勉」と言い、わたしたちは“ベンちゃん”と呼んでいた。

 ベンちゃんとは、いつ同じクラスになったのか、定かではない。もしかすると、一度もないかも知れない。
 ベンちゃんはおとなしく、いつの間にか仲良くなっていた存在だった。

 中学校に入っても、やはりいつもの遊び相手がいない時は、Iやベンちゃんと遊んだ。それが当たり前で、もちろん高校はどこへ行くかは分からないが、中学生である間は、それが続くだろうと思っていた。


 1992年、わたしたちは中学3年生になった。

 ゴールデンウィークが始まる直前、4月の終わり頃だったと思う。ベンちゃんは、ジャージのポケットに手を突っ込み、“良からぬメンバー”と肩を並べて歩いていた。
 普段のベンちゃんとは、およそ繋がりのないメンバーと歩くその姿は異様であった。

 わたしは友人と、「似合わないねえ」などと笑い合った。


 ゴールデンウィークが終わり、5月中旬には修学旅行があった。
 その頃にのベンちゃんは、既に髪の色が変わり、すっかり良からぬメンバーの仲間となっていた。こんな短期間にこれほど変化するとは…。


 わたしはベンちゃんと疎遠になってしまった。それも無理はない。当時のベンちゃんが付き合ってるメンバーは、わたしの住む世界と、少し異なっていたためである。


 6月か7月か、夏休みに入る前であるのは確か。そんな時期のことである。

 国道12号線を右に折れ、自転車で坂を下る途中だった。
 ベンちゃんは、わたしの知らない友人(?)と一緒に裏の道からこちらへ合流し、坂を登るところだった。

 ベンちゃんは「オレたち友だちだよな?」と言った。
 わたしは、「う、うん…」と消極的な返事。

 それが、ベンちゃんとの最期の会話となった。


 夏休み、例年のようにベンちゃんの家の前に立った。しかし、怖くてチャイムを押せなかった。もし、今のベンちゃんが出てきたら…?


 夏休みが終わり、2学期の第1週が終わった。

 第2週に入った日曜日(8月23日)、新聞を読んでいた父がこう言った。
 「あっ! Hくん死んだわ!?」

 わたしは、父が何を言っているのか分からなかった。
 新聞を読んでみる。そこには、ベンちゃんが前日の8月22日、海で溺れて亡くなった、とある。
 今は土曜日も学校が休みだが、当時はまだ授業があった。ベンちゃんは学校へ行かずに海へ行き、そして、亡くなったようだ。


 翌日、ちょっと早めに家を出て、先にいつも遊んでいる友人宅で友人と合流してから学校へ行った。
 1時間目は追悼集会である。TVなどで良く見かけるが、実際に経験したのは、後にも先にもこれ1回である。
 ベンちゃんは、2学期に入ってから、まだ学校に来ていなかったとのことである。しかし、親と相談し、「来週(つまり今日)からはまじめに通う」と約束していたそうである。その約束は、果たされることなく亡くなってしまったということだ。

 2時間目、間の悪いことにベンちゃんが所属していたクラスとの合同授業である。普段はなんだかんだと言ってくるそのクラスの奴らも、その日は休み時間も全く口を開かない。ひじょうに気まずい雰囲気である。

 終業後、いったん家に戻り、ベンちゃんに借りていたゲームソフトをまとめ、ベンちゃん宅へ線香を上げに行った。本人に帰ることはついに叶わず、霊前に供えるしかなかった…。


 卒業アルバムにベンちゃんの名はなく、その代わり、修学旅行のページには、髪の色が変わったベンちゃんも写っている。


 わたしは、未だにベンちゃんが亡くなったことを信じられない。別の高校に進み、もしかすると街でひょっこり会うかも知れない、とも思う。

 1992年当時のわたしは14歳。あれから14年が経ち、年齢もちょうど倍になった。
 これからも忘れることはないだろうが、ベンちゃんの分まで、せいぜい長生きするべきだと思う。さて、あの世で一体何をしていることやら…。

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