他人が話題し古した事柄に喰らい付くのも悪くは無いのだけど。
他人が話題にしていないようなことを見つけては、ブツブツとひとりごちるのは相当楽しい。
これを他人は自己満足の塊という。
ところで「ひとりごちる」って『独り言つ』からきているのだと今、知りました。
独り言(名詞)の動詞化なんだってね、へぇ~。
私が今日の今、気になっていることは。 高齢者の運転免許の行方。
いかにも覚束ない運転をしている高齢者に免許を返納させるのには、ものすごい危険運転をしているかのように思わせる破損しやすい車を使う。
(講習時に使用)
とかいうのは、いかがでしょう? 衝突不安全ボディ、ですな。
激しく蛇行する車とか。緩いハンドルの車とか。
ぶつかると必要以上にデカイ音を出す車とか。
コツンが、ゴツーーーーーン。
カツンが、ガツーーーーーーン。
ドスンが、ドッスーーーーーーーーーーン。
ガッチャンガラガラドッカンバーン!
という音が出れば、さすがの年配の方も驚いて。
そろそろヤバイかな、と思えるんじゃないだろうか。とか。
考えながら、ぶらぶらと『先見日記』を読んでいたら。
敬愛する、しりあがり寿センセーが。こんな日記を。
どっかの研究者によると
魚が人間の乱獲で激減、絶滅の怖れさえあるという。
(中略)
さて魚はどうすればいいのか?
「人類の食欲」というとてつもない災厄に
どう立ち向かってゆけばいいのか?
どっちの方向に進化してゆけばよいのか?
それって一言で言えば
人類にとって「食べたくないような魚」になる
ということなんだろうな。
気持ち悪かったり、
とげとげだったり、
にんじんやピーマンやウンコの形をした魚なら
少しは生き延びることができるかもしれない。
次の手は「食べるにしのびないカワイイ魚」になることだ。
ペット好きにとっての犬や猫のように「カワイイ魚」を目指すのだ。・・・
と、こんなことを書いている文章を読むと心底ホッとする。
自分が、どうしようもない(ような)想像や妄想を繰り広げても。
仲間や(勝手に)、それ以上を上回る脳内がアチコチに転がっていることを。
「先見日記」は”21世紀”という甘美あふれる(はずだった)近未来が、
どうやらそれは夢物語だったらしいことを気付かせてくれつつ。
「これからどうなる?」「これからどうする?」
ということを考えさせてくれる日記。
ここには日常が溢れていて、
そういう意味では「ほぼ日刊イトイ新聞」も同様に日々を感じさせてくれるけれど。
またちょっと違った感じを受けるのは、
7人が曜日ごとに担当を持って連載を成り立たせているところ。
実は(というほどのことでもないのだけど)先日来、
面白ブログを書くことについてイロイロ思いあぐねていたところ。
ピン!ときたのは、ブログ交換日記。
ものすごく気の合う人と感性の交歓できる人と一つのブログでキャッチボールか、
リレーでもしてみたいなと。
思ったのだけど、もう既にきっとそれなりの数の人がやってしまっているよね。
トーシローが先人それも賢人相手に何を歯噛みしているのやら。
ともかく『先見日記』には私の先々のヒントが、
たーっぷり詰まっているのです。
伊藤ガビンさんが、
ふむふむなダイエットについて書いているのが。
これは、また私の次のネタになるんだろうな。