モノスヤが歩けばブンコボンに当たる。
ボンボラボンとかバンバラバンとか、おぼんこぼんでなくて本当に良かったと思う。
イソフラボンでなくて良かったとも思う。
私が家と仕事場以外に一番足繁く通っている場所で、
それも足が勝手にしげく場所で。
金が無くても足の向く場所で手が伸びる場所は本屋です。
この世の中に本屋という場所が無くなったら、
それこそ私はもうちょっとマシでまともな時間の費やし方をしてたと思う。
私は本屋に恨みを抱く者です。
そして本屋の中でも文庫棚に敵意を抱く者です。
本屋の”のれん”をくぐると私の目と手と足は文庫コーナーから離せなくなります。
そして、その文庫一角で平積みになっている多数の本の中から。
なぜか間違いなく自分好みで且つ全く必要性の無い本を選んでしまうのです。
100パーセントの確率で、その「自分好み」の勘は当たり、
なぜかそれまで読んだことも無い著者の本を握り締め。
いそいそとレジに向かうと、
むさぼるように本屋の駐車場で買ったばかりのそれを読み耽ってしまいます。
時間調整などという中途半端な時間を手に入れると間違いなく本屋に出掛けてしまいます。
なぜかネットでは文庫を、ほとんど注文することがありません。
ネット買いの本と本屋で買う本の違いは、
ネットのそれが熟考ののち絶対に手に入れたいと思う一冊であるのに対して。
本屋で買う文庫は反射神経と直感と臭いがします。
昨日も、ちょっとした空き時間に例外なく本屋へ車を横付けし。
スタコラと文庫棚に足が進み、
そこで見たことも聞いたこともない「土屋賢二」という人の『簡単に断れない。』という本を手に取っていました。
表紙絵が、”いしいひさいち”だったのが問題でしたね。
「お茶の水大学の方から来た」「妻と助手を養わなくてはならない」哲学教授の、
愛と肉欲の日々の綴られた本だと思ったら。
まだ全然そんな期待する展開には、ならないですね。
だって妻と助手の間には一人の男を取り合う何かが横たわると深読んだんだもの。
おまけに、その一冊に止まらず。
ナンシー関とリリー・フランキーの最初で最後の対談集、
『小さなスナック』の帯が一瞬光って見えたのです。
これを併読しております。
ちっとも、こんな本に費やす時間は与えられていないのですよ。
いつになったらブンコボンの呪いから解き放たれるのでしょうか。ワタクシ。
ボンボラボンとかバンバラバンとか、おぼんこぼんでなくて本当に良かったと思う。
イソフラボンでなくて良かったとも思う。
私が家と仕事場以外に一番足繁く通っている場所で、
それも足が勝手にしげく場所で。
金が無くても足の向く場所で手が伸びる場所は本屋です。
この世の中に本屋という場所が無くなったら、
それこそ私はもうちょっとマシでまともな時間の費やし方をしてたと思う。
私は本屋に恨みを抱く者です。
そして本屋の中でも文庫棚に敵意を抱く者です。
本屋の”のれん”をくぐると私の目と手と足は文庫コーナーから離せなくなります。
そして、その文庫一角で平積みになっている多数の本の中から。
なぜか間違いなく自分好みで且つ全く必要性の無い本を選んでしまうのです。
100パーセントの確率で、その「自分好み」の勘は当たり、
なぜかそれまで読んだことも無い著者の本を握り締め。
いそいそとレジに向かうと、
むさぼるように本屋の駐車場で買ったばかりのそれを読み耽ってしまいます。
時間調整などという中途半端な時間を手に入れると間違いなく本屋に出掛けてしまいます。
なぜかネットでは文庫を、ほとんど注文することがありません。
ネット買いの本と本屋で買う本の違いは、
ネットのそれが熟考ののち絶対に手に入れたいと思う一冊であるのに対して。
本屋で買う文庫は反射神経と直感と臭いがします。
昨日も、ちょっとした空き時間に例外なく本屋へ車を横付けし。
スタコラと文庫棚に足が進み、
そこで見たことも聞いたこともない「土屋賢二」という人の『簡単に断れない。』という本を手に取っていました。
表紙絵が、”いしいひさいち”だったのが問題でしたね。
「お茶の水大学の方から来た」「妻と助手を養わなくてはならない」哲学教授の、
愛と肉欲の日々の綴られた本だと思ったら。
まだ全然そんな期待する展開には、ならないですね。
だって妻と助手の間には一人の男を取り合う何かが横たわると深読んだんだもの。
おまけに、その一冊に止まらず。
ナンシー関とリリー・フランキーの最初で最後の対談集、
『小さなスナック』の帯が一瞬光って見えたのです。
これを併読しております。
ちっとも、こんな本に費やす時間は与えられていないのですよ。
いつになったらブンコボンの呪いから解き放たれるのでしょうか。ワタクシ。