今朝は9時出発で出稽古先の角館(現・仙北市)の隣りにある中仙(現・大仙市)の鶯野公民館で勉強会の合わせ稽古をしました。
若芽の勉強会の会員のうちの子供たち6人が揃って稽古。
築40年かと思われる体育館のステージを使わせてもらいました。
古びた感が逆に私の興奮を誘います。
この場所は初めての場所ながら、ノスタルジックでどこか懐かしく郷愁を呼びます。
そこは私にとって縁も所縁も無い場所だったのに、
もう心の一頁に留め置かれました。
不思議に、またこの先何度も何回も足を運ぶ場所のような気がして。
何度も何度も振り返っては、その風景を目の奥に焼きつけて。
帰ってきました。
出稽古先の角館には親類も縁者も知人もなく、
それを師匠のインスピレーションで導かれるように足を運んで5年余り。
もう私の中で、ふるさとになっています。
帰る故郷を持たない私たちを温かく迎えてくれる場所。
帰ってきて、
その稽古への集中が解けて脱力した私はヨロヨロと消しゴムを握り締めました。
彫り抜きの”くまマーク”。
まだ未完成です。
これから目や耳が浮き彫りになってくるはずなの。
思った以上に多くの人が手掛けている『消しはん作り』。
その方たちの作品を見るほどに、
なんだかとてつもない才能の無さに打ちのめられそうになりながら。
なぜ彫るのか?
それは彫らなければ上達も無いからです。
つくづく、テケトーにしておけない自分が呪わしい。
若芽の勉強会の会員のうちの子供たち6人が揃って稽古。
築40年かと思われる体育館のステージを使わせてもらいました。
古びた感が逆に私の興奮を誘います。
この場所は初めての場所ながら、ノスタルジックでどこか懐かしく郷愁を呼びます。
そこは私にとって縁も所縁も無い場所だったのに、
もう心の一頁に留め置かれました。
不思議に、またこの先何度も何回も足を運ぶ場所のような気がして。
何度も何度も振り返っては、その風景を目の奥に焼きつけて。
帰ってきました。
出稽古先の角館には親類も縁者も知人もなく、
それを師匠のインスピレーションで導かれるように足を運んで5年余り。
もう私の中で、ふるさとになっています。
帰る故郷を持たない私たちを温かく迎えてくれる場所。
帰ってきて、
その稽古への集中が解けて脱力した私はヨロヨロと消しゴムを握り締めました。
彫り抜きの”くまマーク”。
まだ未完成です。
これから目や耳が浮き彫りになってくるはずなの。
思った以上に多くの人が手掛けている『消しはん作り』。
その方たちの作品を見るほどに、
なんだかとてつもない才能の無さに打ちのめられそうになりながら。
なぜ彫るのか?
それは彫らなければ上達も無いからです。
つくづく、テケトーにしておけない自分が呪わしい。