家に向かう道 通り道
あの部屋に背を向けて 私を残して帰る道
あの部屋に 残してきた顔
寂しげな目
空を舞う 所在なくした手
あの扉が閉まり
私が消えて
それから どんな顔をしただろう
どんな目で 扉の先を見つめただろう
あの手が どんな軌跡を描いただろう
扉に背を向けて
きっと窓から 空を見たはず
私が見上げた同じオレンジの空を
私の空は あなたの空へつながっている
昨日も 今日も
そして 明日も
この程度なので、まともに書いた文字を鏡に映して、
その鏡文字を見ながらシャーペンで直接消しゴムに書き写します。
カーボン紙が無いとできないと思っていた私に、
そんな妙案を与えてくれたのは娘M嬢でした。
老いては負うた子に教えられ、っと。
ヘタウマな文字が手書きの味わいでしょう、
まともに書いたらこんな風には書けないわ(笑)
昨日より少しだけナンシー化、進化したつもり。
面白がってペタペタ押す。
これも一応、四月の勉強会の下準備です。
(理由後付け先出し法で)
速水もこみち22歳を嫌う理由は何もない。
好きで好きで、たまらないと身悶えするほどでもないけれど。
しかしながら、もこみち役者道としては歩めているのだろうか。
大きなお世話だけど。
まだ若く発展途上であり、イケメン俳優として上手さより見た目を求められている人だから。
ぶっちゃけ下手くそでも構わないのかもしれない。
彼が演じているところを観ると反吐は出ないし虫唾も走らないが、
どことなく背中のあたりがむず痒くなる。
手の届かないところが痒いというか。
今度、遂に月9の主役を張ることに決まったそうだ。
それも、リリー・フランキー氏の『東京タワー』が原作だ。
また、やるのか。フジテレビ。
それも大泉洋から速水もこみちとは道が違いすぎやしませんか?
ちなみに映画版のボクはオダギリジョーだ。
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」は、
リリー・フランキー氏の自伝的小説だ。
ということは主人公の”ボク”は、ほぼリリー・フランキー氏当人だということだ。
大泉洋はリリー・フランキーとしては不埒さに欠ける気がする。
オダギリジョーはリリーフランキー的な奇天烈さは持ってると思う。
速水もこみちは、なんとなく目のあたりがリリー・フランキー似と。
言えなくもない気がするが。言えるような気もしない。
何より、もこみちに足りないのは汚れ。
ヨゴレというよりケガレと読んでほしい。
リリー・フランキーが汚らわしい存在であるとか、
その若かりし頃からそうであったかどうか。
私は知らないし想像上でしかないけれど。
あの人のケガレを身にまとっている感じが好きな私。
(だから内面まで汚れきってるとは言っていない)
その奥というか闇というか影というかヒダというか。
その広げると奥行き広く拡がっているところを、
もこみちごときに演じきれるのか?と言いたい!
お前は何様だ!(と自分で自分に言いたい)
何につけても、リリー・フランキーのイヤラシさみたいなところが好きな私としては。
もこみちは、「爽やか過ぎて欲情しない」といったところか。
(どこかで、この「」聞いたことのあるセリフだ。)
観賞用とすれば3日くらいは持ちそうな気がする、
でも美男は飽きる気もする。
その点リリー・フランキーは飽きずに、ずっと楽しめそうな気がする。
たぶん、その分だけ苦しむだろうが・・・・・・。
そういう点では大泉洋でもなく(彼にも欲情しないから)、
オダギリジョーに期待しているところ。
そしてフジ系ドラマの「オトン」役は、
なんだかいつも泉谷しげるのイメージが付きまとう。またかよ。
ていうか、こうなるとボクはオカン似なんだろうね。
泉谷しげるを父に持って速見もこみちが出てくるなんて信じられない。
(出てきたわけじゃないけどさ)
何は、ともあれ。
原作『東京タワー』を読んでいない私が、あれこれほざくのもおかしな話。
まず読め(たぶん読まないが)、それにドラマも観ないだろう。
でも、リリー・フランキーは好きだ。
あんな彼氏がほしい(しかし母親には紹介しづらいと思った)。
もこみち月9で「東京タワー」(スポーツニッポン) - goo ニュース
好きで好きで、たまらないと身悶えするほどでもないけれど。
しかしながら、もこみち役者道としては歩めているのだろうか。
大きなお世話だけど。
まだ若く発展途上であり、イケメン俳優として上手さより見た目を求められている人だから。
ぶっちゃけ下手くそでも構わないのかもしれない。
彼が演じているところを観ると反吐は出ないし虫唾も走らないが、
どことなく背中のあたりがむず痒くなる。
手の届かないところが痒いというか。
今度、遂に月9の主役を張ることに決まったそうだ。
それも、リリー・フランキー氏の『東京タワー』が原作だ。
また、やるのか。フジテレビ。
それも大泉洋から速水もこみちとは道が違いすぎやしませんか?
ちなみに映画版のボクはオダギリジョーだ。
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」は、
リリー・フランキー氏の自伝的小説だ。
ということは主人公の”ボク”は、ほぼリリー・フランキー氏当人だということだ。
大泉洋はリリー・フランキーとしては不埒さに欠ける気がする。
オダギリジョーはリリーフランキー的な奇天烈さは持ってると思う。
速水もこみちは、なんとなく目のあたりがリリー・フランキー似と。
言えなくもない気がするが。言えるような気もしない。
何より、もこみちに足りないのは汚れ。
ヨゴレというよりケガレと読んでほしい。
リリー・フランキーが汚らわしい存在であるとか、
その若かりし頃からそうであったかどうか。
私は知らないし想像上でしかないけれど。
あの人のケガレを身にまとっている感じが好きな私。
(だから内面まで汚れきってるとは言っていない)
その奥というか闇というか影というかヒダというか。
その広げると奥行き広く拡がっているところを、
もこみちごときに演じきれるのか?と言いたい!
お前は何様だ!(と自分で自分に言いたい)
何につけても、リリー・フランキーのイヤラシさみたいなところが好きな私としては。
もこみちは、「爽やか過ぎて欲情しない」といったところか。
(どこかで、この「」聞いたことのあるセリフだ。)
観賞用とすれば3日くらいは持ちそうな気がする、
でも美男は飽きる気もする。
その点リリー・フランキーは飽きずに、ずっと楽しめそうな気がする。
たぶん、その分だけ苦しむだろうが・・・・・・。
そういう点では大泉洋でもなく(彼にも欲情しないから)、
オダギリジョーに期待しているところ。
そしてフジ系ドラマの「オトン」役は、
なんだかいつも泉谷しげるのイメージが付きまとう。またかよ。
ていうか、こうなるとボクはオカン似なんだろうね。
泉谷しげるを父に持って速見もこみちが出てくるなんて信じられない。
(出てきたわけじゃないけどさ)
何は、ともあれ。
原作『東京タワー』を読んでいない私が、あれこれほざくのもおかしな話。
まず読め(たぶん読まないが)、それにドラマも観ないだろう。
でも、リリー・フランキーは好きだ。
あんな彼氏がほしい(しかし母親には紹介しづらいと思った)。
もこみち月9で「東京タワー」(スポーツニッポン) - goo ニュース
昨日、娘M嬢の書道教室の日だった。
私がプリントゴッコで賀状と格闘していると本人が教室から帰ってきた。
そしてランドセルを開けているところに一本の電話、
書道教室の先生が慌てふためいた様子で。
「Mさんのお友達のYさんがランドセルを取り違えたみたいで」
YちゃんはMと同じ書道教室には通っていないが、
ひとりで帰るのが寂しいのでMの書道が終わるのを待っていたらしい。
その時、通ってくる子供たちがランドセルを置く棚に自分のそれを置き。
帰り際に間違って別の子のランドセルを背負って家に向かったようだ。
私は驚きつつもYちゃんの家に連絡するべく先生からの電話を切った。
Yちゃんの家に掛けると、お母さんの声。
事情を話すと、ちょうど帰ったばかりのランドセルを見て「ホントだ!」。
私はYちゃんのお母さんに今すぐ、それを取りに行くので家の前にいてくれるように頼んだ。
この場合、間違えたのはYちゃんでありYちゃんの家に書道教室へ行ってもらえば話が早いのだけど。
Mを待っていたために起こった事でもあるし、
その書道教室にYちゃんが通っているわけでもないし。
ましてや、Yちゃんのお母さんは病気で長く入院していたことを知っていたので。
雨の中、歩かせるのも気の毒に思い。
何より取り違えられたランドセルが届くのを待っている子がいる。
私は電話を切ると携帯と車のキーを、むんずと掴んで家を出た。
Yちゃんの家の前で、お母さんとYちゃんが傘を差して待っていてくれた。
そのランドセルを受け取ると、
「書道教室から戻りましたら、お部屋にお電話しますので。」
と言い残して教室へ車を走らせる。
4時半ともなると周囲は、もうすっかり暗く。
そして、あいにくの雨模様。見通しが悪い。
車も混んでいるし・・・落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせ。
安全な範囲で最大限、急いで教室へ向かう。
私が教室の戸を開けると2階から「ランドセル届いたよ」の声。
10人くらいの集団が、ワヤワヤと出てきて。
私の顔を、しげしげと眺めている。
私は先生にペコペコと頭を下げながら待っていてくれた子に、
このランドセルで間違いないかなと聞いた。
その子は自分のランドセルより私の顔を、じーっと眺めている。
一人の男の子が私に向かって何か言いたげにブツブツ呟いているので、
「何年生?(と彼の名札を見て)5年生か。秋田音頭やったよね?」
と聞くと。
「うん」
どうやら間違えられた子も同窓生らしく残っていた子も殆んど同じ学年らしい。
(学校指導で秋田音頭を教えた子たちだ、なんといタイミングの悪さ。)
ごめんね。帰り大丈夫かな?と聞くと「大丈夫です」。
私は、「ごめんごめん」と言いながら帰ろうとすると。
「しょうがねーなー。許してやるか。」
と男の子の一声。苦笑してしまった。
Yちゃんのランドセルを抱えて車に乗り込み、またYちゃんの家に向かう。
着く数分前に「間もなく」と電話を入れると、
ちょうど着いたタイミングで外に出てきてくれた。
Yちゃんの、お母さんは大変に恐縮した様子で。
ごめんなさいと何度も繰り返していた。
その隣りでYちゃんは憮然とした顔で私を見ている。
きっと、お母さんから怒られたのだろう。
私がランドセルを渡しても、ひと言もない。
この場合お母さんはともかく当の本人には「ありがとう」くらいは言ってほしいものだ。
と思った私は大人げないか。
お母さんが、その分以上に詫びてくれたけど。
そういうものじゃない気がする。
ごめんなさい、ありがとうと言うべきを言いづらいのだろうと百歩譲っても。
せめて、ありがとう一言くらいは言わないか。
Yちゃんに、じゃないかと言ってやろうとしたが。
小さなお母さんが、それ以上にちっちゃくなって頭を下げてくれてるのを見ると。
気の毒になって言えなくなってしまった・・・
私は、お母さんからお煎餅を頂戴して家に戻った。
なんとなく釈然としない気分が残る。
もちろん戻ってから、うちのMを叱咤したことは間違いない。
Mも連帯責任だ。
しかしながら。
「どうして、ちゃんと確認しなかったの?」とYちゃんのお母さんが言った言葉に。
「だって暗くてわからなかったんだものッ!」
と半分キレあんばいだったYちゃん。
我が子だったら、その首が飛んでるよ!
どうなってるんだ!
私がプリントゴッコで賀状と格闘していると本人が教室から帰ってきた。
そしてランドセルを開けているところに一本の電話、
書道教室の先生が慌てふためいた様子で。
「Mさんのお友達のYさんがランドセルを取り違えたみたいで」
YちゃんはMと同じ書道教室には通っていないが、
ひとりで帰るのが寂しいのでMの書道が終わるのを待っていたらしい。
その時、通ってくる子供たちがランドセルを置く棚に自分のそれを置き。
帰り際に間違って別の子のランドセルを背負って家に向かったようだ。
私は驚きつつもYちゃんの家に連絡するべく先生からの電話を切った。
Yちゃんの家に掛けると、お母さんの声。
事情を話すと、ちょうど帰ったばかりのランドセルを見て「ホントだ!」。
私はYちゃんのお母さんに今すぐ、それを取りに行くので家の前にいてくれるように頼んだ。
この場合、間違えたのはYちゃんでありYちゃんの家に書道教室へ行ってもらえば話が早いのだけど。
Mを待っていたために起こった事でもあるし、
その書道教室にYちゃんが通っているわけでもないし。
ましてや、Yちゃんのお母さんは病気で長く入院していたことを知っていたので。
雨の中、歩かせるのも気の毒に思い。
何より取り違えられたランドセルが届くのを待っている子がいる。
私は電話を切ると携帯と車のキーを、むんずと掴んで家を出た。
Yちゃんの家の前で、お母さんとYちゃんが傘を差して待っていてくれた。
そのランドセルを受け取ると、
「書道教室から戻りましたら、お部屋にお電話しますので。」
と言い残して教室へ車を走らせる。
4時半ともなると周囲は、もうすっかり暗く。
そして、あいにくの雨模様。見通しが悪い。
車も混んでいるし・・・落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせ。
安全な範囲で最大限、急いで教室へ向かう。
私が教室の戸を開けると2階から「ランドセル届いたよ」の声。
10人くらいの集団が、ワヤワヤと出てきて。
私の顔を、しげしげと眺めている。
私は先生にペコペコと頭を下げながら待っていてくれた子に、
このランドセルで間違いないかなと聞いた。
その子は自分のランドセルより私の顔を、じーっと眺めている。
一人の男の子が私に向かって何か言いたげにブツブツ呟いているので、
「何年生?(と彼の名札を見て)5年生か。秋田音頭やったよね?」
と聞くと。
「うん」
どうやら間違えられた子も同窓生らしく残っていた子も殆んど同じ学年らしい。
(学校指導で秋田音頭を教えた子たちだ、なんといタイミングの悪さ。)
ごめんね。帰り大丈夫かな?と聞くと「大丈夫です」。
私は、「ごめんごめん」と言いながら帰ろうとすると。
「しょうがねーなー。許してやるか。」
と男の子の一声。苦笑してしまった。
Yちゃんのランドセルを抱えて車に乗り込み、またYちゃんの家に向かう。
着く数分前に「間もなく」と電話を入れると、
ちょうど着いたタイミングで外に出てきてくれた。
Yちゃんの、お母さんは大変に恐縮した様子で。
ごめんなさいと何度も繰り返していた。
その隣りでYちゃんは憮然とした顔で私を見ている。
きっと、お母さんから怒られたのだろう。
私がランドセルを渡しても、ひと言もない。
この場合お母さんはともかく当の本人には「ありがとう」くらいは言ってほしいものだ。
と思った私は大人げないか。
お母さんが、その分以上に詫びてくれたけど。
そういうものじゃない気がする。
ごめんなさい、ありがとうと言うべきを言いづらいのだろうと百歩譲っても。
せめて、ありがとう一言くらいは言わないか。
Yちゃんに、じゃないかと言ってやろうとしたが。
小さなお母さんが、それ以上にちっちゃくなって頭を下げてくれてるのを見ると。
気の毒になって言えなくなってしまった・・・
私は、お母さんからお煎餅を頂戴して家に戻った。
なんとなく釈然としない気分が残る。
もちろん戻ってから、うちのMを叱咤したことは間違いない。
Mも連帯責任だ。
しかしながら。
「どうして、ちゃんと確認しなかったの?」とYちゃんのお母さんが言った言葉に。
「だって暗くてわからなかったんだものッ!」
と半分キレあんばいだったYちゃん。
我が子だったら、その首が飛んでるよ!
どうなってるんだ!