TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

連ドラ再び

2025年02月05日 | エッセイ
現在放送中のNHK朝ドラも、残すところあと2か月ほど。
前作品の重さに比べて、時代も雰囲気も軽めの展開に初めは違和感があったが、気づけば毎回録画して見逃さない。
たぶんこうなるよね、心を閉ざしているあの人この人も、おいしい食物の力で、いずれ心を開くよね……というような「お約束ごと」が裏切られないので、見ていて安心である。
ややこしい気分になりたくない1日の始まりのアクセントとしては、ちょうどいいかもしれない。

さて、日曜日の大河ドラマ「べらぼう」。
日本史がもともと苦手。
ドラマの背景となる知識に疎いため、たとえ架空とはいえ、史実に基づいたドラマ展開は敷居が高く、この番組枠はずっと敬遠していたのである。
しかし今回は、舞台が吉原という庶民の世界。
しかも歴史の教科書にも書かれることのなかった裏側ともいえる世界だ。
そこでの言葉遣いや生活、風習なんかも、とても新鮮である。
小芝風花さん演じる花の井の立ち居振る舞いや言動も貫禄があり、見ていて気持ちがいい。
そして、前回まで登場していた唐丸という子供の存在も気になる。
いったん舞台から消えたかのように見えたが、何年かしたら青年になって蔦重の前に現れて、彼の過去が明かされるのだろうということが予感される。

最近は演技のうまい子役が増えた。昔はウソ泣きっぽい演技をする子役が多かったが、今じゃ、涙など自然に流れ出て、大人の俳優も顔負け。
感心するばかりだ。
唐丸の再登場は、むしろ主人公の行く末よりも関心がある。

大河ドラマは1年という長丁場だ。
毎週毎週、テレビの前に座ってドラマを味わうことのできる生活は、あたりまえのようであるが、実はあたりまえではない。
こうした時間を持てる生活が続けばいいなあ、と半ば祈りながらの視聴でもある。



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