母が、訪問リハビリを辞めた。正確に言うと「お休み」という形だが、再開する予定はないらしい。
脳梗塞は消失したが、「足が重くてひょろひょろする」という後遺症は相変わらず。
しかしそうした症状を抱えたままの歩き方に本人なりに慣れたそうで、「教わった体操のしかたは身に付いたから、もういいわ」とのこと。
このままリハビリを続けても、足は重いままであることに多少失望したこともあるかもしれない。
なによりも、リハビリのスタッフが来る日には、朝から居間の掃除などして、彼らをお迎えする体制をつくっておくのに疲れたらしい。
時間に正確に来てくれる彼らを、こちらもその時間ピッタリに、「来るぞ来るぞ」と待ち構えているのが、なんとも落ち着かないのだとか。
父ひとり分だけにすれば、その負担感も半分ほどには減るのではないかということだ。
確かにそうかもしれない。
それに、今後、必要なサービスも、増えていくかもしれない。
それを思うと、無理に勧めるのもどうかと思う。
こんな調子では、例えば、訪問介護サービスにお掃除を依頼したとしても、「あんまり汚れているのも悪いから」と、彼女たちが来る前に、せっせと掃除して待ち構えかねないだろう。
脳梗塞は消失したが、「足が重くてひょろひょろする」という後遺症は相変わらず。
しかしそうした症状を抱えたままの歩き方に本人なりに慣れたそうで、「教わった体操のしかたは身に付いたから、もういいわ」とのこと。
このままリハビリを続けても、足は重いままであることに多少失望したこともあるかもしれない。
なによりも、リハビリのスタッフが来る日には、朝から居間の掃除などして、彼らをお迎えする体制をつくっておくのに疲れたらしい。
時間に正確に来てくれる彼らを、こちらもその時間ピッタリに、「来るぞ来るぞ」と待ち構えているのが、なんとも落ち着かないのだとか。
父ひとり分だけにすれば、その負担感も半分ほどには減るのではないかということだ。
確かにそうかもしれない。
それに、今後、必要なサービスも、増えていくかもしれない。
それを思うと、無理に勧めるのもどうかと思う。
こんな調子では、例えば、訪問介護サービスにお掃除を依頼したとしても、「あんまり汚れているのも悪いから」と、彼女たちが来る前に、せっせと掃除して待ち構えかねないだろう。
解ります。そのお気持ち。
女性にとっては、客人を迎えるのと同じ感覚なので、少々緊張しますでしょう。
ウチの母の時は、週2回女性の方がリハビリ指導とマッサージで来てくださいましたが、やはり、家の中を見られる緊張感がありまして、私でさえ無関心ではいられませんでした。
特に本人は、客人の視線や仕草にも敏感になります。
母の場合は、気にし過ぎで止めてしまったようで、メンタル面も大事なんですね。
お父様のリハビリを見学することも有意義と思います。
そうですね。父のリハビリが参考にもなっているようです。日常の家事をせざるをえず、これ以上よぶんに動きたくないのかも。
スタッフに見られたくないガラクタなどを放り込んである部屋を、うっかり彼らが開けそうになった時、母、慌てふためき、「そこはダメなの!」と走っていきました。その時だけは足の重さを忘れたようです。