TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

口癖

2024年04月23日 | エッセイ
「どうせなら」。これは父の口癖である。
それが母にとっては気に入らないらしい。
どうせ、という言葉には、どこか投げやりなニュアンスが含まれている。
弁護するわけではないが、これは、「どうせ、わたしなんか」のように、ひがんだ「どうせ」ではなく、「せっかくなら」という意味で言っていると思っていたので、母に言われるまでそのネガティブ性に気がつかなかった。
しかし、母と同じように感じる人もいるだろう。
親子の口癖は似る(と思う)。
これまで、「どうせなら」という言葉が口を突いて出ようとするたびに、「せっかくなら」と言い換えるようにしていた自分にも気がついた。

口癖というもの、本人は自覚しないで口にしていることが多い。
相手がどう思うかについて、案外無頓着だ。
人によって、受け取り方もさまざまである。
年下の同僚に、「さっきも言いましたけど」と言われるのが、心底嫌だと話していた知人がいる。
そう言われると、こちらの物分かりや記憶力の悪さをことさら指摘されているように感じられるのだとか。
悪意を含んでわざとそう言っているのかどうかは、日頃の関係性によるだろう。
もともとせっかちな人が、わかってもらえないのをじれったく思って、誰に対してもつい、口走ってしまうのだとしたら、そういう性分なのだなあ、と納得もいく。

「だから」を連発する上司がいた。
仕事の説明や指示をする合間に「だから」「だから」が何度もはいる。
どう説明していいかわからない自分の語彙力に対するもどかしさと、相手にうまく伝わっていないもどかしさ。
これも言われた当人にしてみれば、自分の物分かりが悪いのではないか、と思ってしまう。
回りにもそう聞こえるかもしれない。
「だから」が会話の中で何回はいるのか数えてみたこともある。

彼女は、高齢の両親の介護をしながら働いていた。
おそらく両親を前に、「だから、さっき言ったじゃないの!」とじれながら日々の世話に明け暮れていたのではないか。
その口調が職場にまで持ち越されたのかもしれない。
だとすると、きっと本人に自覚はなく、もちろん悪意もないのだろう。

かく言うわたしの口癖は、「でも」と「〇〇ですけど」。
相手にしてみれば、せっかく肯定的なことを言っているのに、「でも」と覆されているように感じるのではないか。
「ですけど」にいたっては、そのあとに「それがなにか?」と続きそうである。
なにやらケンカを売っているようだ。

とまあ、他人の口癖の揚げ足をとっていないで、自分のネガティブな口癖を減らすことに心を配ったほうが良さそうである。
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2 コメント

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Unknown (カラス)
2024-04-24 23:14:51
こんばんは。

まったくその通りでございます。
話し方は、その人そのものですね。
私なんぞ、話が前後したり、訂正が多かったり、
迷子になったりと、支離滅裂になります。

会話となれば、先ずは相手の話をしっかり受けるところから始まるのでしょう。
聞きながら、自分の付箋をつけることは、難しいです。
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Unknown (TOMATO)
2024-04-25 07:10:43
こんにちは、カラスさん

確かに、話しながら今しがた口にしたセリフについてチェックをいれるのは、甚だ困難ですね。
気にし過ぎると、かえってしどろもどろになったり不自然になったりして、話がスムーズに進んでいかないかもしれません。
相手の話を「そうですね」で受けてみる、あたりから挑戦してみます。(つい、「でも……」と言いたくなりそうですが^^)。
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