日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

ポスト真実では自信をもってウソを語る

2017年03月22日 09時27分58秒 | 日々雑感
 ポスト真実(Post-Truth)とは、感情や個人的信念に訴えるものが、例えウソであっても事実より影響力を持つ状況を示す言葉とのことである。この言葉は、先の英国におけるEC離脱を問う国民投票や米国大統領選挙で有名になった。すなわち、ポスト真実が世論形成に大きな役割を果たし、想定外の政治状況を作り出してしまった。

 日本語的には ”ポスト何とか” とは、ポスト安倍のように、安倍首相の後は誰が首相になるかと言った時間的に後の話題の議論のときによく使われる。しかし、英語的には、時間的より空間的な意味で使われるのではないかと思われる。すなわち、ポスト真実とは真実の背後にある虚偽を示すような感がするが、どうもすっきり頭に入ってこない。

 世界は様々な問題に直面している。例えば、難民問題である。特に中東における政治の不安定さは、多くの難民をヨーロッパ各国に送り出した。難民を受け入れる国では、人道問題として受け入れてみたものの、職を奪われることや福祉関係の財政の逼迫となり、移民排斥運動が次第に顕著になってきた。もともと、中東における政治の不安定さは、先進国が中東の国々に民主主義を普及させようと介入したのが切っ掛けであり、善意からであったとしても原因は先進国にある。

 この問題に直面し、各国の指導者は人道問題と自国経済安定の相反する難問に抜本的な解決策が見いだせず四苦八苦している。中東の安定には、イスラム原理主義、民族問題、取り巻く国々の思惑が入り乱れ、将来の道が開けない袋小路に陥っている。

 最近勢力を増大し始めた移民排斥運動は、自国第1主義であり、他国や他民族のことには目を瞑る。そこで、自国から移民さえいなくなればすべてうまくいくと、一見もっともらしい論理を振りかざす。

 難民発生の根本原因など考えることなく、目の前の出来事しか考えないで、人を煽る言葉がポスト真実であろう。そこにおいては、嘘であっても、自信をもってウソを語らなくてはならない。

 ポスト真実の流行は、米国やヨーロッパ特有の現象かと思っていたが、日本でも同様な現象は起こっている。ただし、それにより世論を形成するほど大きな影響力を持つまでになっていないと思うが、真実を隠ぺいするために嘘を平気でつき周りをたぶらかす点では、ポスト真実であろう。

 稲田朋美防衛相は13日の参院予算委員会で、”(森友学園関連の)裁判を行ったことはない”と、自信たっぷりに断言していたが、14日午後の衆院本会議で一転、”今朝の報道において、13年前の裁判所の出廷記録が掲載されました。夫の代わりに出廷したことを確認できましたので、訂正し、お詫びいたします”と謝罪した。13年前の出来事で忘れることも多々あると思うので、あれほどはっきりと断言するのは逆に不自然と思っていたが、証拠を突き付けられたので、観念したのであろう。

 彼女の言い訳が奮っている。”私としては自らの記憶に基づいて答弁した。虚偽の答弁をしたとの認識はない”と述べた。客観的事実があったとしても、記憶に無いと言えば、嘘をついたことにならないとの主張だ。しかも、外部から証拠を示されているのに、自発的に調べて確認したかのような言い訳は、何とも見苦しい。彼女はポスト真実で、日本の安全を守る防衛大臣の職を全うすると主張するのであろうか。都合の悪いことを隠すのは、戦争中の大本営発表の得意とするところであった。

 籠池森友学園園長は、小学校の新設を認可してもらう為に、私学審議会に”愛知にある進学校に推薦入学枠を確保してる”と虚偽の報告していた。籠池氏は全体がウソで固められおり、何が真実か分からないくらいであるが、こちらもポスト真実で小学校を設立しようと思ったに違いない。

 更に、築地市場から豊洲市場への移転の遅れに対し、石原慎太郎元都知事は自分の責任を忘れ、小池都知事が豊洲への移転を作為的に遅らせていると主張した。石原氏は、日頃から自分は ”もののふ” と自負していたが、責任を他人に押し付けるとは、武士、いや人間の風上にも置けない人間であると露呈してしまった。石原氏はポスト真実で責任を逃れようとしているとしか思えない。
2017.03.22(犬賀 大好-322)