日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

経済のグローバル化は必然的に経済格差を生む

2017年07月08日 09時16分10秒 | 日々雑感
 現在グローバル化と言えば、まず経済のグローバル化であろう。先進国の豊富な資金は、途上国に投資され、経済を活性化させるが、同時に深刻なインフレと貧富の格差をもたらしている。

 2012年は、中東諸国の独裁政権が民衆の蜂起により次々と打ち倒されたアラブの春の年であったが、この暴動の背景には貧富の格差の問題があると言われた。

 また成長著しい中国でも格差が拡大し、農村部では暴動が絶えず、開発で土地を奪われた農民が都市に溢れているそうだ。中国は情報統制が厳しく、実態が明らかにされにくいが、それでもこれらの惨状は漏れ出てくる。

 なぜグローバル化が進むと経済格差が広がるのか。これはグローバル化が経済の効率化の為であるからであろう。経済の効率化とは、経済的な無駄を無くすことであり、そこには経済格差の問題や人道的な問題は無関係である。

 地球上でコストの安いところで生産することは経済効率から見て当然であり、必然的に人件費の安い発展途上国に集中する。途上国においても個人の能力の差で儲けに差が出ることは経済効率から見て当然と考えられる。すなわち、経済の効率化を目的とするグローバル化が進めば必然的に経済格差が広がる宿命なのである。

 従って、途上国のグローバル化は人々に平等に豊かさをもたらすものではないのだ。豊かな人がますます豊かになり、貧しい人はますます貧しくなる。国の経済規模で見れば成長したかも知れないが、社会的な成熟度はむしろ後退したと言える。

 国の成熟度、達成度を高めるのは政治の力だ。しかし、経済的に貧困な国は、政治的にも貧困であることがほとんどだ。”衣食足りて礼節を知る” と相通ずるところがある。当面、グローバル化は経済格差を推し進めるであろう。

 先月7日及び8日、フランス・パリで開催されたOECD閣僚理事会でも、グローバル化の弊害としての資本・富の集中への対応なども議論されたようであるが、改善案は出たのであろうか。出たかもしれないが、マスコミで取り上げられるほどでは無かったようだ。やはり話題の中心は米国トランプ大統領の米国第一主義に対する対応策であったであろう。

 トランプ大統領は、製造業の米国回帰を画策しているが、自動車企業のフォードはミシガン州の工場での現行モデルの生産を2018年に終了し、次世代フォーカスの中国生産を2019年下期に開始すると発表した。トランプ大統領の恫喝をもってしても、経済のグローバル化は止められない。

 つい先日もトランプ大統領は、グローバル化に抵抗し、アルミニューム素材の米国への輸入関税を引き上げると宣言した。これも、自国の製造業を保護するためであろうが、経済格差をなくす一助となるだろうか。関税引き上げにより、アルミ製造業が立ち直り、雇用が守られれば、労働者の貧困化が防げるかも知れない。しかし、一時的にはそうなるかも知れないが、未来永劫続く話ではないだろう。

 産業は、アルミ素材だけでは成立しない。それを利用する製造業、そこで出来た製品を買う顧客が居て成立する。すべての条件が揃わなければ、産業として成立しない。トランプ氏は経済人であり、そんなことは十分承知のことであり、単なる人気どりかも知れない。

 日本は、資源の乏しい国でありながらも、世界中の食べ物が手に入るのは、グローバル化のお蔭である。経済のグローバル化は止められなくとも、その負の影響を何とか減らせないものか。

 グローバル化による国内産業の衰退は関税で何とかなるかも知れないが、それが良いことか悪いことか良く分からない。経済格差はほとんど悪と思うが、経済の素人には何をなすべきか全く分からない。エコノミストは短期的に儲けることで頭がいっぱいであろうが、政治家や経済学者は長期的な視野から知恵をしぼってもらいたいものだ。2017.07.08(犬賀 大好-353)