日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

罪の認識の無い所に罪は発生しないのか?

2019年05月18日 09時11分43秒 | 日々雑感
 隠蔽とは元々”人や物の在りかを隠すこと”と極めて単純で分かり易かったが、厚労省の毎月勤労統計調査等に関する特別監察委員会が定義する隠蔽は、”法律違反や極めて不適切な行為を認識しながら意図的に隠そうとする行為” であると分かり難くくしている。

 この文言では、不適切な行為と認識していなければ故意に隠そうと隠すまいと罪にはならない、とのニュアンスになり、厚労省の統計処理の不正行為を何とか罪に問われないようにする為の労作の結果だ。

 と言いながらも、罪の認識の無い所に罪が発生しない、あるいは罪が軽くなるのは一般的な常識であり、それをダメ押しした感もある。

 小学校や中学校でいじめがよく問題になる。いじめられる方は自殺にまで追い込まれることもあるが、いじめる方はいじめているとの認識が無くただ軽い冗談の気持ちでやっているとの話もよく聞く。

 セクハラにしても各種の差別でも同様であろう。やられる方は深く傷ついても、やる方に罪の意識は無く、その結果余り重大な罪に問われることは無い。

 また、2017年2月に、マレーシアの国際空港で金正恩委員長の兄の金正男氏が殺害される事件があった。実行犯の女性2名は、インドネシアとベトナム国籍であり、両人とも最近比較的軽い罪で放免された。

 両国からの身柄解放要請にマレーシア政府が配慮したのが一因であろうが、両人の殺害するつもりは無く単にいたずらと思ってやっただけだとの主張が認められたのも大きい要因であろう。これも罪の意識の無い所に罪が発生しない一例となろう。

 罪の意識が無い状態での犯罪の典型例は、認知症や精神疾患の患者による犯罪だ。精神的に正常でないと思われる人物が事件を起こした場合、精神鑑定が必要となる。精神鑑定とは裁判所が精神状態・責任能力を判断するため、精神科医などの鑑定人に対して命じる鑑定だ。

 刑法第39条には、1項;心神喪失者の行為は、罰しない、2項;心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する、という規定がある。すなわち事件を起こした者に責任能力がない場合には、違法行為をしたことについて非難することが出来ない、ゆえに犯罪は成立しない、との意味だ。

 責任能力の問題と、罪の認識の問題は本質的に異なるが、責任能力の低さと罪を認識する能力の低さとでは、能力の低さの点で相通ずるところもある。

 ところで、精神鑑定の結果、責任能力が無いと判定されても、無罪放免とはならず何らかの治療が義務付けられるだろう。また未成年者の犯罪も特別に扱われるが、少年院等での更生が義務付けられるが、厚労省の統計処理の場合口頭注意ぐらいで済まされるだろう。

 この厚生省の件では、統計の作業内容が変わらないのに作業人員が大幅に減らされたとの背景もあり、要員配置を行う管理部門の責任の方が大きいようにも思える。

 セクハラやパワハラ、またいじめに対する世間の目が厳しくなった。認識の低さが罪の軽さに結びつく時代は終わりつつある。2019.05.18(犬賀 大好)547


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