日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

お坊さんビジネスの今後

2016年08月17日 09時50分04秒 | 日々雑感
昨年12月、ネット通販大手アマゾンに法事や法要に僧侶を手配するサービス[お坊さん便]が出品されたそうだ。定額サービスで、基本価格は税込み3万5千円との話だ。

これを「宗教の商品化」として、全日本仏教界(全仏)は、昨年暮れ、「宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ない」と、当時の斉藤明聖理事長名で声明を出した。お坊さん便は葬儀関連会社「みんれび」が3年前に始めたとのことだ。葬儀社や霊園がお坊さんを紹介することは、かなり以前から行われていたことであり、「みんれび」はそれをネットを利用して組織的に行っただけであろう。全仏は ”何を今更” の感である。

お葬式には死者に戒名を付与するしきたりがあり、葬儀の慌ただしさに紛れて何十万円も請求されるとの話はよくある。戒名には階級があり、「信士・信女」が一般的で最も多くの人が授かる戒名で、それより上は「居士・大姉」、「院居士・院大姉」等があるとのことだ。

戒名料は後者になるほど高くなり30万円程度、50万円程度、100万円程度が相場のようだが、お坊さん便では信士・信女の戒名を2万円で授与するとのことで、相場に比べれば格安だ。全仏は、”お布施は慈悲の心をもって他人に財施などを施すことで「六波羅蜜」といわれる修行の一つで、見返りを求めないところに自利利他円満の功徳が成就されるのです”、と言っているところを見ると、お坊さん便の格安サービスに目くじらを立てて居るのではなく、値段を付けること自体に反対しているのであろう。しかし、本音とは思えない。

 高い戒名料に拘わらず、そもそも死者になぜ戒名が必要かの説明もなされないことが多い。僧侶は亡くなった人を葬儀を通じて仏の世界、すなわち彼岸へと送り出すが、仏の世界に往くのに俗名のままでは行けない、ということで死者に戒を授け浄土へと送り出す、が一応の説明であろうが、なぜ俗名ではだめかの説明は無い。 

 かって、今は亡き永六輔氏の講演を聞いたことがある。人間は死ぬと三途の川を渡り、閻魔様の前で裁きを受ける。閻魔様は名前を聞いて、その人が生前何をしていたかを知り、極楽に行くか、地獄に行くかを決めるのだそうだ。その時の名前は、俗名ではなく戒名とのことだ。閻魔様も冥界の表現でないと判断ができないらしい。戒名が立派であれば、閻魔様は立派な人であったと判断し、極楽の方へ導いてくれるそうだ。そこでお坊さんが授けてくれる戒名は重要なのだと。何と分かり易い説明ではないか。

 そうであるとすれば、戒名は檀家システムの中で重要な役割を占めると思える。すなわち、お坊さんは死者の存命中の行状を長年の付き合いの中で知り、その功徳を十文字程度の戒名に凝縮する役割を果たさなくてはならない。しかし、檀家システムが崩壊した現在戒名は単なる記号で、金で買えるようになってしまった。これでは閻魔様も正しい判断が出来るとは思えない。

 都市近郊のお寺は、墓地を分譲したり、駐車場を経営したり結構実入りがよさそうである。お寺は昔より、知の中心として近くの人々の尊敬を集め、地域のコミュニティの中心となっていた筈だ。精神的な支えが檀家システムを形成したのだ。今はお寺を金ピカにして、上辺だけでも有り難さを出そうと、俗人丸出しのお寺も結構ある。全仏はこのような寺の存在に疑問を持つべきだ。

 地方から都会に住みつくようになった人には、昔の菩提寺は遠すぎ、それでも呼べば気兼ねと、金が必要だ。一方お坊さんにとっても登録をしておけば、宗派に応じてお客さんを紹介してくれる便利なシステムである。時間的な余裕が出来れば、依頼者の要望により、お経ばかりでなく、説教をすることもできる。需要と供給がマッチした旨いシステムとして、これから益々盛んになるだろう。

 全仏の新理事長、石上智康氏は、「決定打はなかなかない。このような商品が成立しない土壌を作るために我々も襟を正し、愚直に信頼を回復していくしかない」と話す。現在世の中にはモノがあふれているが、精神的な支えが不足している。従来の仏教は葬式仏教と衰退しても、オウム真理教等の新興宗教が盛んなようであり、精神的な支えを必要とする人は多い。全仏はこのような状況を直視し、何をなすべきか愚直に考える必要があるだろう。
2016.08.17(犬賀 大好-260)

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