畑のつぶやき

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食、農への思い

あさが来た

2016-02-07 18:20:29 | 食、農への思い

2月7日(日)   ときどき 

夜の間に、霙か雨が降ったのか、水たまりができている。寒い朝だ。今日は、撤去したパイプ類を片付けようと思ってはいたのだが、寒いのと、濡れているだろう冷たさを想像し、午前中はお休みと決めた。ゆっくりと新聞を読み、領収証の整理を終わらせる。午後も、日差しはあるが、空気は冷たい。そのまま部屋での仕事を選ぶ。昨年の会計をまとめるフォルダーを作り、あちこちから資料をまとめておく。昨年購入した減価償却資産も計上し、15年度の減価償却簿を作成。領収証を転記する、出勤簿の記帳にも手を付けた。

朝ドラについてだが、連れ合いともども観ていて、こんな会話があった。

ドラマは、幕末から、明治の時代、大阪の両替商に嫁いだ女性主人公が、実業家として成長してゆく物語。で、主人公が、九州の炭鉱を買収し、炭鉱を経営するのだが、大阪から、九州に歩いてゆくわけだ。そんな場面がちょくちょく出てくる。

連れ合いが、「100年ぐらい前までは、歩いていたんだね。」「100年ということはないだろう。大正生まれの母が100歳になるんだから。」「そうか、150年前か」

私たちが子供のころは、歴史の勉強などで、明治は、100年ほどまえっだった。それから、私たち自身が、50年以上生きているのだから、当然の話である。

それはさておき、明治の時代に、ようやく鉄道が走るようになったのだ。それはほんの150年ほど昔のことなのだ。私たちから数えて、父母、祖父母と三代遡るだけ。曽祖父母にしても、三代である。それまでの、歴史的に記述されるようになってからの時代でさえ、千数百年、二千年ほどの時代、基本的にに歩くという行為だけだった。

とすると、この150年の変容は、その速さは、次から次えと新たなものの生み出されるのは、何なのだろう。

久しぶりに、そんなことを考えさせられた。

 

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