ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

霧笛第2期第32号 編集後記

2014-11-19 20:19:26 | 霧笛編集後記

〈編集後記〉

◆そして、秋も終わりかける。いや、前号の編集後記を「いつのまにか、夏も盛りとなった」と書きだしていたそれから三ヶ月経過した。書き出しの言葉は、「そして」も「しかし」も「だが」も、どれでなくてはならないということがなくて、どれでもいい言葉でしかない。しかし、「そして」と書きだすことで、何ごとかが表現されてしまう。そこになにがしかの感情が読みとられてしまう。短歌とか俳句とかの類いの日本らしい短詩形の、一個の形式とまでなってしまった感情、のようなもの。それで、いっぱしの詩が書けたと勘違いしてしまうような感情。余情と呼ばれるようなもの。

 「しかし、秋も終わりかける。」と書くと、すぐに、なぜ、「しかし」なのかを書かないわけにはいかなくなる。しかし、「そして」の場合は、必ずしも、「なぜ」を説明しないでも済む。なんとなく、分かったような気がしてしまう。

 これは、端的には時の経過なのだろう。時が経過するということは、その間に歓びとか悲しみとか、あるいは苦しみとかが生まれ、強くなったり弱くなったり持続したり消え去ったりする。「そして」と言ったとき、何の感情かは分からないにしても、何かの感情が生まれて、それが何らかの変化をこうむる。何がしかの余韻が生じる。

◆一〇月二六日(日)は、産業まつり。震災以降初めて魚市場を会場に開催された。北の端から市場に足を踏み入れて見通すと、ひとの波。気仙沼にこんなに人が住んでいたのか疑わしいと思えるほどの混雑。震災前には毎年繰り返された光景。鉄火巻きも、静岡市清水を抜き返してひさびさの日本一を奪還する。以前は、十一月二十三日に固定されていたが、ひと月早いこともあり、相当に暖かい。観光課に勤務した前後十三年間、そのうち四年間は直接担当の係長だった。復活した懐かしい光景。

◆「市場で朝めし」は今年二回目で、産業まつりと同時開催となった。上手いネーミングである。コピーライターの技が光る、というような。その昔、「海・風土(シー・フード)まつり」などと称して実行委員会を組織して、産業まつり会場で、海の幸が味わえるコーナーを継続した。あのときと世代がひとつ、あるいはふたつ転換した。しかし、やはり「市場で朝めし」とは見事なネーミングである。炭火焼きのサンマも美味であった。

◆このところ、霧笛をお送りしている東京の高瀬さんからハガキをいただいた。「及川良子さんのエッセイ『Nの目撃 バルテュスに会いに』はとても良かった。」と。「北の方で図書館員になれないかと探してはいますが、なかなか。」図書館員とは、そんな憧れめいた思いの対象となりうるものらしい。

◆熊本さんの「そういうふうに」は、一個の絶唱と思う。最近は、いっときに比べて確固とした面もちである。還暦にして惑わぬものを探しあてられた、のに違いない。

◆常山の表紙は、三日町交差点の「大内みえ子料理教室」。ここは、津波の到達点のもう少し西になる。南町や魚町界隈のモルタル造りのこの手の建物は多くは失われた。

        (千田基嗣)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿