ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

私は日本人だろうか? 詩誌霧笛127号から

2018-10-21 23:04:15 | 2015年4月以降の詩

私は日本人であるより先に気仙沼人である

と言ってみる

ああ

アイデンティティの拠り所として

まずは気仙沼人である

と言ってみたが

それは怪しいもので

根なし草の地球人かもしれない

地球人などといっても種として人類であるということで実体のない空理空論のたぐいだ

地球語などというものは存在しないのだから

 

私の中で気仙沼弁でできている層と

共通語でできている層と

あとから英語やらフランス語やら取ってつけたように学んだ層は無視して構わないとして

どちらが基層をなすか

 

どちらが私の本性か

 

私が子どもの頃も今も

気仙沼あたりの若い親たちは

赤子に気仙沼弁で呼び掛けることはしない

少なくとも私はとんと目にしたことはない

昔の祖母や近所の年寄りたちは別である

 

ばばば何としたべめんこいごとめんこいごと

 

若い親たちもお互いの会話では気仙沼弁になっているかもしれない

いや気仙沼弁から共通語の間の広がりのなかでごちゃ混ぜになったキマイラのようなことばを使っている

ごく幼いころの家庭の中でのことば

学校の授業で学ぶことば

むしろ私たちの基底には共通語としての日本語がある 少なくとも戦後生まれの私たちの世代ではそうだ

ひょっとして日本どこでも明治の文明開化から義務教育の定着以降はずっとそうなのではないか

倒錯めいた話だが基底には共通語があり方言はあとから取ってつけたコミュニケーションのツールとして機能しているのではないか

気仙沼弁は

家庭の外で幼稚園や小学校に通うようになって以降後から出会ったことばだったのではないか

気仙沼らしい語彙については相当にそうだし

イントネーションは気仙沼地方においては比較的共通語風だったようにも思うが

気仙沼弁は地域において交わるために親しみをこめて半ばおどけたようにあえて演じることばであり続けているのではないか

 

一方で

気仙沼弁がそういうツールとしてしぶとく生き延びていることも確かなこと

そこには根なし草ではないなにか確実なものが存在することは確かであるが

私が気仙沼人であるというのは

ごく自然に当然にそうであるのではなく

ひとつのフィクションとして演じられている役柄なのではないか

 

もちろん

私が日本人であるということもそれほど自然で自明であることでもない

私は大人になる過程で(もちろん大人になりきれたかどうかは別のこと)西洋合理主義にどっぷりとつかって(哲学やら精神分析の本を読み漁って)子どものころの家庭の問題をようやく乗り越えることができた

両親の間の問題と両親との関係の問題をなんとか相対化して生き延びることができた

 

私の半ばは日本人ではない

のかもしれない


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