ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

エッセイ 「遅咲きのヒマワリ」だったっけ

2012-11-07 23:36:28 | エッセイ
 「遅咲きのヒマワリ」だったっけ、テレビのドラマで、真木よう子がいいという話もあるんだけど、それはそれとして医者っていうのは、現代日本で特権的な立場だな。ちやほやされるというだけじゃなくて、いるだけで、感謝される。うらやましい限りだ。医者になってれば良かったな、とか、言っても、理科系じゃなかったからな。まあ、ひとつの夢としては、精神科医になって精神分析者になるっていうのが良かったなという思いはある。
 医師である真木よう子というのも相当に魅力的だが、そういう話ではなくて、このドラマ、この間のNHKの「梅ちゃん先生」を踏まえて作られてるということを書きたかった。
 堀北真希の梅ちゃん先生ももちろん医者だし。倍賞美津子、あと、あの梅ちゃんの兄の奥さんになった女の子、今回は市議会議員の不動産屋の娘役で、二人が同じ役者が出ている。
 一方は、時間軸を遡って、昭和、戦後(で、まあ、東京でも蒲田、下町)。今回は、空間を飛んで四国は四万十川流域。で、問題は、自由で無縁な個人と、暖かい、かつ束縛する共同体の関係、相克。行き過ぎた経済成長のなれの果てをどう超えていくのかのヒントの提示、みたいな。
 地方の市役所勤めの身としては、地域おこし課の臨時職員などという設定は興味を持たざるを得ない。やっぱり、地域おこしのお祭りは出てくるし。
 倍賞美津子が登場して、お隣のおばあさんという役どころではなんか違う、使われ方が違うなと思いながら見ていたら、あっという展開。急病で亡くなってしまうという、なるほど、初回のみの特別出演、その後の展開に大きな役割を果たす役割。真木よう子が地方の医者として回心していくきっかけ。納得した。
 ところで、木村佳乃じゃなくて、なんか似た名前のあの女優、その前回は兄の妻にして、今回は地元の不動産屋の娘、結構きれいな子だけど、なんというか、演技過剰というか、くさいというか、舞台でやるのをそのままテレビに持ち込んでいるというか、妙に上ずっている、すべっている。「梅ちゃん先生」のときもあれ?っていうところはあったが、今回は、全開、みたいな。でも、実は、あの演技、きらいじゃないな。あれはあれでいいんじゃないだろうか。きれいでかわいいしね。いや、そういうことじゃなくて、あの演技はあり、だと思う。滑り具合が、パロディのようにも思える。
 で、このドラマは、何と言っても真木よう子。若い、研究者としては落伍しながら、実技者としては研修医レベルの頼りない医者。ああいう医者がいたら、微妙に調子悪いってだけで、しょっちゅう、通院だな。
 実は、ビールのコマーシャルの様子もいい。あの、見えないところで手を離している様子。数年前の竜馬伝のときは、良くわからなかったけど。何だろう、最近、何かのトーク番組で観たのかな。忘れた。でも、確か、そうだな。あの鋭い視線。
 医者は医者として頼りにされ、頼りにされることで、失敗しながらも、徐々に自信をつけていく。いいな。ひとに頼りにされるというのは、何と言ってもうれしく有難いこと。
 ふむ、なんか最近、テレビドラマばっかり観ているみたいな。

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