ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

隣町珈琲の本 mal” 1号 合同会社隣町珈琲 あるいは ”コモンの喪失”

2020-06-08 21:07:06 | エッセイ
 mal″(マル)という誌名は、日本語で言えば“ワル“ 。マルなのにワルというと駄洒落になってしまうが、その下に、“Les mauvais frères sont de retour”(悪い兄貴たちが帰ってくる) の一行が、サブタイトル、あるいはタイトルへの注記として置かれている。malは名詞で悪、mauvaisは形容詞で悪い。あ、フランス語。
 この兄貴たちというのは、内田樹と平川克己の二人組。東京、大田区の町工場街で育って、大学卒業後、渋谷道玄坂あたりに、ふたりで翻訳会社を設立、村上春樹の小説のモデルになったとかならないとか、実は関係ないとか言われて、その後、いろいろあって、現在は二人とも文筆家・思想家として活躍している。ワルと言っても、本当の悪人ではなく、そう簡単にひとの言いなりにはならねえぜ、とカッコつけてる中年のおじさんみたいなイメージ。まもなく70歳になろうとする二人であるから、本来は中年とは言えないのだろうが、老人とは言えない感じ。まあ、今は、50歳~60歳代が中年で、40歳代以下は若造って感じだろうな。(と、60歳代前半の私は思うが、どうだろう)
 悪い兄貴はこの二人だ、とはこの本のどこにも書いてない。が、読む者にとって、まずはこの二人であることに間違いはない。
 いや、単純に、私自身がファンである、わが師と仰いでいる、と言ってもいいのだが、わが先輩の悪い兄貴たちと、ここは呼んでみたいい。
 巻頭エッセイは、隣町珈琲とこの本の主宰である平川克己が「我が町、我が隣町から言葉を届ける」と題して、この文芸誌発刊のいきさつを述べる。大田区、品川区の彼らが育った界隈、東京でありながらローカルに立脚する宣言である。
 内田樹は、〈「コモン」の喪失〉というエッセイを寄せている。

「「原っぱ」というのは子どもたちにとってのある種の「入会地(common)」である。出入り自由の、誰のものでもない場所である。そういう「誰のものでもない土地」が1950年代の東京では、いたるところに広がっていた。」(39ページ)

 コモンというのは、ここでは、誰でもが自由に出入りできる土地のこと。

 内田は、里山の哲学者・内山節が『自然と人間の哲学』に描いた同時代の世田谷の様子を引いている。同書235ページからの引用を孫引きする。(しかし、この二人の名前、並べてみると紛らわしいことこの上ない。私にとっては、どちらも尊敬する先達である。)

「ヒバリを追いかけた麦畑も、ふいに野兎に驚かされた草原も、群れ泳ぐ魚たちを見ていた土手の木陰も、すべてが過去のものになった。」(40ページ)

 内田は、自分の育った大田区の町をなぞらえる。

「私の町はもともと工場街だから、世田谷の田園ほどドラスティックな風景の変化はなかった。けれども、違うかたちで子どもたちが享受してきたものが「過去のものになった」。
 「原っぱの喪失」である。それは世田谷における自然破壊と同じように、1950年代、東京五輪の前に始まった。それはそれまで何もなかったところに鉄条網が張り巡らされるというかたちをとった。久しく地権者自身が見向きもしなかったただの空き地が、五輪を前にして自治体が道路を通し、下水道工事を始めると、そこそこの「資産」になっていった。無価値だと思っていたからこそ、管理されることなく、子どもが自由に出入りできた土地が、「財産」として観念されると同時に鉄条網で囲まれ、子どもたちはそこから排除されたのである。
 …そのときにはじめて私有財産というものは嫌なものだと私は思った。」(40ページ)

 ふむ、なるほど。
 そして、話は開拓時代のアメリカに飛ぶ。「1862年にリンカーンが制定したホームステッド法」と映画『シェーン』のことである。『シェーン』は、ラストのセリフ「シェーン、カムバック!」で有名な映画。(ジョン・ウェインが主演の、と書こうと思ったら、私の勘違いのようである。というよりも単なる無知か。ごくおおざっぱな西部劇、ウェスタンという括りのうちの話ではある。)

「…ホームステッド法は、5年以上定住して農耕を行った者に、65ヘクタールの国有地を無償で与えるという法律だった。」(41ページ)

「映画『シェーン』はホームステッド法で土地を手に入れた農夫たちと、その土地から追われた牧畜業者たちの戦いを背景にした物語である。」(42ページ)

 だれでも自由に行き来できる原っぱで肉用牛を放牧し、都会まで運搬していた牧畜業者(カウボーイ)と、その土地を開墾して囲い込んで手に入れた農民との争い。カウボーイは悪役で、農民が善人と描かれていたと思うが、どうもそう簡単なお話ではないようだ。

「ホームステッド法に基づいて土地所有者になった農夫の主張する「耕作権」と、それまでカウボーイたちが享受していた「放牧権」は当然のように衝突した。土地は所有してよいものか、それとも公共的に管理すべきものなのか、という根源的な問いがアメリカでは、このときに顕在化したのである。」(42ページ)

「資本主義経済は私利私欲をエンジンにして走る。私利の追及が生産性を高め、イノベーションを促す。だから資本主義は公共財を私有財に付け替えることに理ありとする。ホームステッド法に拠って土地の私有を言い立て、「コモン」としての共同利用を拒否する農夫たちは資本主義的には正しいのである。『シェーン』におけるカウボーイたちが、ことさらに悪魔的な相貌で描かれているのは、彼らを資本主義経済の発展を阻害する反動的アクターとして描き出すことが資本主義の要請であり、フィルムメーカーたちが、その要請に(おそらくは無意識のうちに)迎合したせいである。」(42ページ)

 イギリスの、資本主義経済の発展の出発点となったと言われる囲い込み運動(エンクロージャ)と似たような出来事だったのか。牧畜と農耕とで、後先は逆になっているが。
 内田樹や内山節は、東京オリンピックのころの資本主義経済の発展と「子ども時代の喪失」を痛みのうちに経験した世代なのだという。
 私は、1956年生まれで、ちょっとだけ世代が下の、片田舎で育ったので、経済の成長と子ども時代の喪失がリンクしたという感覚はない。高校を出て、首都圏に出るまで、その両面は併存していた。ひょっとすると、帰郷して今現在に至るまで、相応の割合で両立しているのではないか?このあたりは、また別に深く考えてみたいところだ。
 資本主義経済の進展と、共同体の喪失というエピソードの、東京と、気仙沼のような地方小都市の展開の違い、ということになるのだろうか。
 冒頭のグラビアは、東京大田区の町工場の小説家・小関智弘への平川克己によるインタビュー。平川、内田の育った町のアイデンティティを記録してきた作家である。
 平川の巻頭エッセイの次には、川本三郎のエッセイ「戦後の小市民映画に見る戦争の影」。成瀬巳喜男や小津安二郎の監督作品に触れ、当時の東京の市井の生活を描く。
 コラムニストの小田嶋隆、詩人の小池昌代、佐々木幹朗、エッセイストの関川夏生、女流義太夫の鶴澤寛也、書評の豊崎由美、イスラム教学者の中田考、精神科医・名越康文、翻訳家・古谷美登里、国際基督教大学の森本あんり、能楽師・安田登などどれも面白く読み応えのある文章、戦時ないし戦後の時代を描いた短編小説も、興味深く読めた。そうそうたる“悪い兄貴たち”である。そうそう、大瀧詠一を迎えた、平川、内田らの「読むラジオデイズ」も面白い。貴重な記録ともなっている。
 このmal″は、東京南部の大田区や品川区の下町のローカルな地域誌であり、平川らの育った戦後の時代の記録でもある。今号が第1号で、次号はいつの発刊になるのか、記されてはいないが、楽しみにして待ちたいと思う。
 余談だが、今朝、松任谷由美のベストアルバムを聴いていたら、「宝島だった秘密の空き地 今ではビルが建ってしまった」という歌詞が出てきた。それから同じく今朝、「小林麻美第2章」という本を読み終えたが、小林麻美は、大田区大森の出身で、ユーミンと同い年で親友(というあたりを読んで、CDを引っ張り出してきたわけだ)、この本と重なりあって続く高度成長期の東京の記録となる。私自身の記憶とも重なる時代。大瀧詠一とユーミンというのは、音楽史においてごく近い場所にいた、というのは言うまでもないことである。

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