◆さて、四〇号、通算で一二〇号となる。ここまでは、新・霧笛の会、霧笛第2期と称している。次号からは、年も明けて、再びシンプルに「霧笛の会」として、号数も通算で一二一号と数えていいのではないか、と考えている。例会で提案しているが、少なくとも表立っての反対はないようである。
◆東京江古田(住所としては沼袋らしい)で「遠藤誠司の秘密の花園~沼から沼へと2~遠藤誠司展」を開催ということで、一二月六日 ~一七日、会場はちめんかのや(地面下の家)というところらしい。遠藤くんは、ミュージシャン熊谷門の娘の羊ちゃんの夫であるが、霧笛同人に参加したほかに、絵描きでベースギターも弾く。発行時には成功裏に終えていることだろう。フェイスブックに様子はアップしているようだ。で、その準備に追われて、原稿が無理ということで、ピンチヒッターとして、ごとうひではる君に投稿いただいた。古町のカフェ、シーキャンドルコーヒーのオーナーである。同人への参加も呼び掛けているところだ。
◆二〇一六年が暮れて、震災から丸六年になろうとするところだ。私は一九五六年生まれ、昭和で言えば三一年、戦争が終わって一一年しかたっていない時点だった。若いころは、戦争はずっと昔々のお話と思い込んでいた。時間の感覚が違っている。それとはまた少々違う話だが、記憶の中のある出来事が、震災の前なのか後なのか、これはわりあい明確に区別できる。紀元前と紀元後、維新前と維新後、終戦前と終戦後。それと同様に、震災前と震災後で時代が区分できる。神戸や淡路の人々にとっては、もちろん、今回の、ということにはならないのだろう。
◆来年三月には、市役所の定年を迎える。去年今年と図書館事業として「哲学カフェ」なるものを始めたが、これが、想定以上に好評だった。皆さんに喜んでいただけた。ただ、私流の、ということにはなっていたようで、あまり、枠組みをきつくせずゆるやかなものとなっていたようだ。考えの筋道をきちんと整理することに重点を置くというよりは、何であれ、語ること、一方、語らない側は、じっくりと傾聴すること、こちらはゆるがせにせずしっかりと踏まえていく。今年は、子どもの本を一冊づつ取り上げて、読み聞かせボランティアの皆さんの協力も得て、テキストは配付ぜずに、口で語ったことを耳で聞く、そのあとに、自由に感想やら質問やらを語り合う。朗読を聴く機会も貴重、語り合う時間も貴重、大人になって、こういう時間を持てることの幸福、そんな感想を持たれた方が多かったようだ。私自身としては、これからの可能性が大きく拓けていくというふうには思っている。
◆一一月二七日の仙台での現代詩ゼミナールで、詩集湾Ⅲから「船」、「半分はもとのまま」など数遍を取り上げ、私と妻真紀と二人で朗読する機会を得た。ひとりで、というよりは、二人で割り振ってという形が良かったように思う。翌日の朝日新聞の宮城版に取り上げていただいた。
◆今回の常山の表紙は、大船渡の某所とのこと。震災後の光景である。
※畠山幸さんが、この号、休筆していることに触れていないのと、実は、何よりも、日野修さんの作品を落としてしまったこと(原稿は印刷会社に入れたうえで、最初の校正に入ってこなかったのではあるとはいえ、見落としたことは事実…)が、大反省点であった。
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