副題は「英語と日本語行ったり来たり」。
片岡義男は作家。西海岸風、と思っていた。文庫本を1~2冊は読んでいると思う。そんなにまとめては読んでいない。30年ほど前、創刊されたばかりのどこかの洒落た雑誌に掲載されていた短編が、なにか飛行機に乗ってスチュワーデスがどうこうしたというような話だったような気がする。イラストが、ヤシの木が海岸に生い茂ってみたいな、ちょっとポップな絵柄で。あ、ひょっとすると、スチュワーデスじゃなくて、エア・ホステスとか、キャビン・アテンダントなんて言い始めた先駆けだったか?
実は、結構面白い、こういう洒落たのは、読んでもいいかも、とは思っていた作家だった。とは言いながら、あまり読む事態に至らないままではあった。
西海岸ぽいお洒落な路線と言えば、まんがでは、わたせせいぞうとか、デビューした当時の村上春樹も、そんな路線、というイメージだった。
ちょっと前、新書かなんかで、小説ではなくて、あれ、片岡義男はこんなのも書くのか、これはやはり読むべきか、などと思った記憶があるが、どんな本だったか忘れた。
といいつつ、本の末尾の作家紹介を見ると、NHK出版の『日本語と英語』とか、KADOKAWAの『英語で言うとはこういうこと』など著書としてあるので、それらのどちらかに違いない。
というよりも、あ、そうか、『スローなブギにしてくれ』か。これ、小説では読んでいないかもしれない。たぶん、映画は見た。あの、今となれば白石佳代子を少し若くしたみたいな女優、浅野温子が主演していた。南佳孝の歌は、レコードを買って何度も聴いた。シングルのEP版だな。これは、名曲。聴いて、何度も歌った。日本のAOR、アダルト・オリエンティド・ロック。
♪ウォンチュー おれの肩を 抱きしめてくれ~生き急いだ男の夢を~憐れんで~
これは、作詞は片岡義男本人なんだろうか?
で、片岡義男だが、対談相手の鴻巣女史が、英語のネイティブ・スピーカですからと言っている。ふむ?
ネットで見ると、山口県生まれのようだが、父親がハワイ生まれの日系2世だったのか。ああ、なるほど。
鴻巣友季子さんは、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』の新訳が評判だった翻訳家。
この二人が、有名な作家の作品を取り上げて、それぞれに翻訳して、それを見せあい、それをもとに語り合うという趣向。もちろん、全文を、というわけにはいかず、そうだな、1ページ分以内の分量の「さわり」だけ、みたいな。というか、すべて冒頭の部分のみのようだ。
とり上げられている作家、作品は、ジェイン・オースティン「高慢と偏見」、レイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」、J・D・サリンジャー「バナナフィッシュには最適の日」、L・M・モンゴメリー「赤毛のアン」、トルーマン・カポーティ「冷血」、エミリー・ブロンテ「嵐が丘」、エドガー・アラン・ポー「アッシャー家の崩壊」、と一般的に呼ばれる(一部、そうではないかと私が勝手に思う)邦題。
これが、ふたりそれぞれ、タイトルも翻訳するということで、与えた題名が、片岡が「思い上がって決めつけて」、鴻巣が「結婚狂想曲」、以上は、“PRIDE AND PREJUDICE” (高慢と偏見)。「ロング・グッドバイ」は、「逢えないままに」に対して「さよならは一度だけ」。サリンジャーのは「まるでバナナフィッシュの一日」と「バナナフィッシュ日和」、「赤毛のアン」は、「少女がここに生きる」と「夢みるアン」、カポーティが「冷血にも」(これは、例外的に片岡のみの翻訳となっている。)、「嵐が丘」は、これはどちらもそのまま「嵐が丘」、そして、ポーのは、「アッシャー家が崩れ落ちる」に対して「アッシャー館の崩壊」。
題名は、一般的に流布しているもののほうが、しっくりくる。あえて、変える意味がさほど感じられない。どこか違和感が漂うような。ただ、「嵐が丘」の例はあるが、あえて、一般とは別の題をつけるということをふたりとも意図したのだろうか。それをルールとしたというようなことは、この本のどこにも書いていない。翻訳家として、自分が思う最適のタイトルをつける、ということをしたということなのだろうな。
「嵐が丘」は、嵐が丘でしかないという読みを、ふたりともした、ということになるのだろう。
さて、はじめにで、片岡義男は次のように語る。
「かつては、翻訳された日本語、そしてその本だけが、あったのです。原典があちら、そして日本語訳がこちらですけれど、翻訳される前の原典つまり外国語は、存在しないに等しい状態でした。いったん翻訳されると、格段にそうなりましたね。いま、そしてこれまらは、少なくとも二言語の世界に。人々は生きるのです。ひとつは自分の日本語で、もうひとつが英語であれなにであれ、少なくとも二言語によって、人々の生きる世界は成立するのです。少なくとも二言語、ですよ。/そのような世界での日本語は、かつての日本語とは趣が大きく異なって行くでしょう…(中略)…翻訳の日本語そのものは、基本的には、読みやすさへと向かいます。いつもの自分の日本語と、二言語世界における英語なら英語の代役としての、国内仕様の日本語から可能な限り離れているが故に読みやすい翻訳である日本語との、ふたとおりですね。」(4~5ページ)
日本語がふたとおりあるという。
もちろん、明治以降の現代の日本語が、翻訳を通して形成されてきたことは言うまでもない。これは、西洋文明の移入でもって、日本の文化が形成されてきたということと、正確に同じことだ。
古来の日本語が、西洋語と緊張関係をもって変化する。古来の日本語と、「翻訳調」の新しい、新奇な日本語とが緊張関係をもって、変化していく。
明治時代も現在も、ふたつの日本語があるということに変わりはないことになる。
違いは、といえば、言ってみれば、昔は、翻訳家は英語を知っていたが、一般大衆は知らなかったのに対し、いまは、一般大衆も知っている。あるいは、知っていなくてはならないということになっていると言ったほうがよいか。あたかも強迫観念のように。
脅迫観念うんぬんは、この本には書いていないことで、余計なお世話か。
しかし、われわれが、翻訳ものの本を読むときに、これは、原文ではどう書いてあるのかを常に意識しながら読む、ということを強いられるような時代になっているということではある。
他の翻訳者であれば、どう訳すのかと考えたりする。
あるいは、これは、誤訳ではないのかとまで、考えざるを得ない。
「歌詞における歴史的な誤訳は、ビートルズのNorwegian Woodがありますね。「ノルウェイの森」が定着しているから村上春樹の小説のタイトルにもなった。でもあれは「森」ではなくて「家具の素材」のことですね。誤訳なのですが、「森」と訳したことでインパクトが強くなった。」(鴻巣 10ページ)
「誤訳の問題は微妙ですね。微妙なグレーゾーンが排された翻訳は窮屈です。…(中略)…チャンドラーの『長いお別れ』に“to say good-by is to die a little”というくだりがありますよね。そのa littleをめぐって、「自分のなかの何かが少しだけ死ぬ」と解釈する翻訳者と「少しのあいだ死ぬ」と解釈する翻訳者がいるそうです。ほんの少しのちがいですが…(中略)…喚起されるイメージはかなりちがったものになります。」(鴻巣 11ページ)
何か私たちは、翻訳と言うと、ひとつの英文に対してひとつの日本語の文が正解として存在するみたいに思い込んでいるところがある。ところがそれは大いなる誤解でしかない。
翻訳とはすべからく誤訳でしかない、などとシニカルなもの言いもないではないが、すべての翻訳が、多少なりとも創作である、ということは確かなことだ。
「鴻巣 『少しだけ死ぬ』は、本当は変な日本語かもしれませんが、その違和感がかえって言葉の奥行きを深めて。結果としてイメージを直截に伝える。ちょっとおかしいと思わせることで、意味のエッセンスを伝えるということもありませんか。昔の翻訳にはそういう「引っかかり」の妙味を持つ訳が沢山ありました。
片岡 一見したところは直訳でも、じつはとても工夫がなされていて、その工夫によって、翻訳者がはからずも前面に出てくる。こういう翻訳がこれから増えると僕は思います。」(12ページ)
37ページに、ひとつの英語の文章が、日本語に翻訳された例として、ジェイン・オースティンの「高慢と偏見」の翻訳が、5種類並べられている。確かに言っている趣旨は同一だと言っていいが、実際の文章は、5つそれぞれ皆違う。ここで、阿部知二訳、中野好夫訳、富田彬訳、中野康司訳、小尾芙佐訳をすべて引用してもいいが、ここは、現物に当たって下さい。
翻訳というものは面白いものだ。言葉の翻訳とは、文化全体の翻訳でもある。文化の輸入である。
ぼく自身、よく考えると、読む本はほとんど翻訳だった。翻訳で育ってきたといって過言でない。日本の小説家も、読んだのは、まさしく「翻訳調」の大江健三郎である。
(小学5年生のとき読み始めた岩波古典文学大系の古事記も、万葉仮名のようなもので書かれたにせの漢文のようなものからの読み下し文という名の翻訳だったわけだ。)
ところで、対談の中に、赤毛のアンの村岡花子は当然登場するし、いま、最も影響力のある翻訳家としては、言うまでもなく村上春樹の名前が挙げられている。
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