ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

エッセイ 哲学者 中村雄二郎とバリのダンス(前編)

2010-03-08 18:12:29 | エッセイ
前に、似たようなエッセイは載せたが、それは2回目の時のもの。これは平成9年9月、最初のときに、地元紙に掲載したもの。(今日は前編)
 
 当地には珍しく、夜になっても蒸し暑い。それにしても、つい一昨日にいた関東の逃げ場のないような湿気と熱とは別と思われる。気仙沼駅のホームに降り立った際の、湿り気の少ない鋭角的な空気は、大学時代の夏の帰省時を思い出させる。
 バリ島は、暑さにおいては、もちろん、先日の関東も比べものにならなかったが、空気はからりと乾燥し、快適であった。13年前の9月、半年経っての新婚旅行先に、バリ島を選んだのは費用の問題ばかりではなかった。
 群馬県高崎市で、自治体学会の年次大会が開催され、参加してきた。企画部会長の新藤宗幸立教大学教授も、大会運営の責任者として忙しくたち働いておられた。
 新藤教授は最近、哲学者中村雄二郎の「臨床の知」という言葉をよく使われるようである。国の官僚に比べ、市民に接し、市民の中で仕事するぼくたち自治体職員の優位の可能性を語っておられるかと思う。
 中村雄二郎は、ぼくがもっとも親しんでいる日本の哲学者であると言っていい。語り口は常に平易であるが、射程は深い。かれの「コモンセンス=共通感覚=常識」論はぼくの考え(思想の―と言っては、はばかられるが)根底をなすものだ。その著書に「魔女ランダ考―演劇的知とは何か―」がある。今から14年前岩波書店から発行されている。
 かれは、1979年、井上ひさし、大江健三郎らと、またよく80年にもバリ島を訪問したという。
 「バリ島には前からかなり強い関心はあった。…アントナン・アルトーの伝える〈バリ島の演劇〉や武満徹氏、小泉文夫氏などの注目する〈ガムラン音楽〉から呼び起された関心…であった。…ところが昨年の夏に行ってみて、私は強い刺激、文字どおりカルチャー・ショックといっていいものを受けた。そこには近代科学の知、能動(アクション)の知とはきわめて対照的な知があまりにもみごとに、緊密かつ刺激的なかたちで見いだされたからである。」というわけで、シンガポールやら香港よりも、これは、是非、バリ島に行ってみなくてはと考えたわけである。

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