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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

樋口直美・内門大丈 レビー小体型認知症とは何か ちくま新書2023

2024-02-02 12:47:41 | エッセイ オープンダイアローグ
 副題は「患者と医師が語りつくしてわかったこと」。
 樋口直美氏の著書は、シリーズケアをひらくの一冊『誤作動する脳』(医学書院2020)に次いで2冊目である。
 この本のねらいは、「はじめに」に記されている。

「私は、五〇歳の時に「レビー小体型認知症(DLB)」と診断され、治療を続けている患者です。診断後、自分の病態を観察、記録し、「従来の説明はちょっと違うよ」と書き続けてきました。当事者を苦しめる、認知症やレビー小体型認知症に被せられた、どす黒いイメージを変えたいと願ってきました。」(p.8)

 治療を行う医師の観点と、当事者である自らの体験のズレ、そして、一般に広がる誤解に、著者は苦しんできた。

「…医療者が外から見て解説してきた症状と自分で体験する症状には、間違いなくズレがあったのです。そして病名が知られていくと同時に誤解も広がっていくように見えることに、私は胃がねじれる思いでいました。その誤解は、診断された本人や家族から希望を奪い、治療やケアの不適切さを覆い隠し、病状を悪化させてしまうからです。
 この本は、そんな誤解を一つひとつ解き、希望を持って生きるための方法を知識を伝える内容になっています。」(p.9)

 この書物は、難しい病を宣告された当事者が希望を持って生きるためにと、レビー小体症について臨床経験の豊かな専門医と行った対談である。(この専門医内門大丈氏の観点は、多くのふつうの精神科医とは違ってとても丁寧であると、私が思うのは、偏見だろうか?)

「この病気には、希望がたくさんあるのです。」(p.11)

 書物の紹介としては、ここまで述べれば、あとは、実際に手に取っていただければ良いところであるが、もう少し続けてみたい。

【過剰で不適切な投薬】
 この病は、特に若い頃に発症した場合、うつ病と間違って診断されることが多いという。

「四〇代の頃、知識がなかったためにうつ病と誤って診断され、六年近く苦しい日々を送った経験と反省が、私を医療情報収集に駆り立てたのです。」(p.10)

 ピントの外れた過剰な投薬によって苦しめられた。
 第2章の「レビー小体病 症状と診断と治療」で、次のようなことが語られる。

「内門 症状のすべてを、クスリでコントロールしようとはしない方がいいですね。
 樋口 頭もクリアにしたい、幻視も消したい、便秘も立ちくらみも耳鳴りも頭痛もだるさも消したい、歩行障害も改善したいと、全部の症状を薬だけで解決しようすると、かえってうまくいかないですよね。
 内門 そうなんです。患者さんから症状を訴えられると医者は「じゃあ、この薬を飲んでみましょうか」ってどうしてもなるから、結果的に多剤になってしまうんですよ。」(p.70)

 多くの精神科医が、過剰な投薬に陥っている現状があるというべきだろうか。後段で、樋口氏は次のように語るところもある。

「樋口 …薬の副作用と病気の症状の区別は医師にも判断が難しくて、副作用が出た時に病気の悪化と捉えて、薬の量や種類をどんどん増やしていく医師は、珍しくないよって。
 多剤併用の害は、何度かメディアでも特集してますよね。」(p.160)

【中井久夫的なケアの大切さ】
 さて、樋口氏が次のくだりで語ることは、非常に重要な観点を提示してくれていると思う。

「樋口 …私は楽しいことを夢中でしている時とか、友人とゲラゲラ笑い合っている時には、症状を感じないんです。体調も良くなります。逆に…悪いストレスは猛毒ですね。」(p.71)

 この書物では、治療というよりも、ケアの大切さが、くりかえし語られているというべきではないか。

「内門 …マッサージはどうですか?精神科医の中井久夫先生も推奨されていますけど。
 樋口 マッサージは気持ちがいいじゃないですか。「ああ、気持ちいい!」って快感を感じるものは、なんでも効果を感じますよ。森林浴でも温泉でもお灸でも。心身の緊張が緩んで楽になりますよね。…
 タクティール・ケアといって、背中とかを両手の手のひらでゆっくりさすってもらう技法があるんです。脳でオキトシンが出て、不安や不眠に効果があるそうで、認知症のある人にも良いそうです。「快」っていう感覚は、脳には良薬なんだと思います。」(p.72)

 ケアと言えば、中井久夫である。別の箇所でも中井の言葉が取り上げられる。

「樋口 正確な診断が難しいのであれば、治療さえうまくいけばOKと考えたほうがいいと思いませんか?「診断とは治療のための仮説です。最後まで仮説です。“宣告”ではないと中井久夫先生がご著書(『こんなとき私はどうしてきたか』医学書院・二〇〇七年)に書かれていて、「これだ!」って思いました。診断の正確さばかりを追求してもあまちメリットがないと思います。それよりも、よけいな薬でせん妄を起こしたりする「治療で悪くなるリスク」を避けていくことの方が患者と家族には重要な気がします。」(p.103)

 内門氏は、それに同意して、

「内門 私の外来では、レビー招待型認知症に限らず認知症の人で、がっつり抗精神病薬を使わなきゃいけない人はそんなに多くないです。環境を整える、関わり方を変える、よけいな薬を出さない 、体の調子を整える、そんなふうにしていくだけで改善してくるんです。
 …認知症だけを診るのでなく、体の状態を良くしていくと認知症もすごく良くなってくるんですよ。」(p.103)

 続けて、樋口氏は、ユマニチュードというケアの技法を語る。

「樋口 それはすごく重要な点だと思います。
東京医療センターの本田美和子先生は、ユマニチュードというケアの技法を日本に導入された医師です。本田先生から直接伺ったんですが、一般病棟に入院中の認知症のある患者さんに対してその技法で接すると、使う抗精神病薬の量を減らせるというデータがあるそうです。」(p105)

【向井谷地生良、オープンダイアローグ、幻視との共存】
 べてるの家の向井谷地生良氏が、オープンダイアローグの方法で効果があったと書いているという。

「樋口 向井谷地生良さんという方が、レビー小体型認知症のある方の幻視の話をオープンダイアローグという対話の方法でじっくり聞いたら、改善したと書かれていたんですよ。「怖い男が大勢見えて怯えていた方に対して、「なるほど、そんな男がいたら怖いですよね。どんな服装なんですか?」とか「表情はどうですか?」と、真剣に詳しく質問していくんです。そうした対話を繰り返していくと、だんだん男の人数が減ってきて、最後には「まだ少しいますけど、もう怖くないから大丈夫です」って変わったそうなんです。…自分の話をちゃんと聞いてもらえることで孤立感とか不安感が減って安心できたんだと思うんです。」(p.113)

「樋口 レビー小体病で幻視の症状が完全に消えたという話は聞いたことがないですけど、平和に共存できればいいわけですよね。幻視の人や動物はいるけど、別に気にならないと。幻視の人は、危害はないですからね。普通はただ黙ってそこに居るだけですから。」(p.114)

【怪談・昔話の脱魔術化?】
 幻視について、この本を読みながら思うところがある。症状として幻視を理解すれば、怖がる必要は無いという、病への対処として役立つという文脈とは別の、余談であり、蛇足ではある。少々長くなるが、引用を続ける。

「樋口 亡くなった家族や遠くに住む子や孫を見たという話は、何度か聞きました。ある若年性レビー小体病の方は、亡くなった祖母が居間にいるのが見えたそうです。しっかりした方で、「なぜおばあちゃんがいるんだろう。おばあちゃんは死んだのに。これは幽霊だろうか、何なんだろう」と考え込んだと言っていました。」(p.121)

「樋口 イスの背からズリ落ちる黒いエコバッグが、飛びかかってくる大きな黒猫に見えて叫んだり、ハンガーに干したシャツが、そのシャツを着た男に見えて、心臓が止まるかとったり。錯視も幻視と同じで、本物に見えるんです。」(p.122)

「樋口 私自身、幻視を自覚した時は、恐怖を感じました。…でも、自分を観察していくと、人格とか精神とかは関係ないってわかりました。頭が誤作動を起こしているだけで、私の知性とも全然関係ないなって思ったら落ち着いて、別に幻視があっても関係ないという考え方に変わったんです。
  …「この病気は症状として幻視が出るけれども、別にあなたの精神とか人格には関係なくて、ただ誤作動しやすい脳になっているだけなので大丈夫ですよ」みたいな説明は、安心できると思います。健康な人でも遭難とか死別とか特殊な状況では幻視や幻聴が起こるので、元々人間の脳に備わった機能なんですよ。そのスイッチが緩くなっていて、勝手にオンになってしまうだけなんです。」(p.134)

 と、引用を続けたところを読んでいると、世の怪談だとか、遠野物語のような昔話(たとえば、座敷童子)は、レビー小体病による幻視の記録なんだと、謎解きされたような気持ちになる。脱魔術化みたいな、ちょっとがっかりするような。
 幽霊とは、脳の働きとしての幻視であり、錯視である、と。
 しかし、実は、そうだからと言って謎が解き明かされたわけでは全然ない、ということになるのだろうが、ここは、ここではあまり深掘りしないで、今後の課題にしておく。文学、文化人類学方面の。




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