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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

西村高宏 震災に臨む 被災地での〈哲学対話〉の記録 大阪大学出版会2023

2024-01-23 12:24:18 | 気ままな哲学カフェ
 シリーズ臨床哲学第6巻である。
 西村高宏氏は、福井大学医学部准教授、専門は臨床哲学。大阪大学大学院博士課程で学び、鷲田清一氏の薫陶を受けた直系の系譜の哲学者ということになるのだろう。
 実は、前任は東北文化学園大学医療福祉学部の教授で、せんだいメディアテークで「哲学カフェ」の場を開いてこられた方である。私も、その場には何度か参加させていただいたし、なによりも、もはや10年近く前になるだろうか、私が気仙沼で「気ままな哲学カフェ」などという勝手な企みを始めるにあたり、お会いして直接ご指導をいただいた方である。当時東北福祉大学の保健学の、近田真美子先生がご一緒であった。

【被災の場所における臨床哲学】
 冒頭、「はじめに」のサブタイトルは「被災の場所に、立つ」である。

「…本書では、「現場」のただなかで立ち上がり、またそこでの具体的なやりとりのなかで不断に更新されていく「臨床哲学」のすがただけでもあきらかにできるのではないか…。」(p.ⅰ)

 臨床哲学とはどういうものか。

「「臨床哲学」は、「ひとびとの『苦しみの場所』に哲学的思考を差し込み」、「その場所で哲学に何が可能か、それをまさにその現場で問うてゆく」ところにその比重をおく。…「人が生きるその場所で、生きながら考える営み」でなければならないといった哲学本来の「みずみずしい志」を呼び覚まそうとする強い意志が働いている。」(p.ⅰ)

 その現場とは、たとえば、次のような場所である。

「看護や介護の現場、教育の現場、家庭という場所、被災の場所、そしてこころがもだえ、悩んでいるその場所…」(p.ⅰ)

 さて、この書物は、被災という現場のただ中で営まれた臨床哲学の試み「哲学カフェ」(せんだいメディアテークの事業「考えるテーブル てつがくカフェ」)の記録である。(仙台市の定禅寺通りに面した建物内が現場のただ中であるという言い方には、議論のあるところではあるだろうが、あえてそう言っておく。)

「本書は、2011年3月11日に発生した東日本大震災という未曾有の災害に臨むなかで、仙台市にある「せんだいメディアテーク」を中心に、これまで70回以上にわたって行ってきた被災地での哲学対話実践の活動をとおして透かして見えてくる、「震災に臨む哲学」の可能性を手繰りよせることを目的として編まれた。」(p.ⅲ)

「…この本が、今後、不意なかたちで「被災の場に投げ出された人」が自分なりの仕方で「その場に立つ」ことができるように手助けする、そんなちょっとした道案内のようなものとしてそばに置いてもらえるのであればこれ以上のしあわせはない。」(p.ⅳ)

 能登半島で、今日今現在、役に立つというわけには行かないのだろうが、もう少しだけ日時が経過したときには、きっとそういう局面がやってくるはずであろう。

【鷲田清一、そして辺見庸】
 さて、臨床哲学と言えば、鷲田清一である。この書物のなかでも、たびたび論及され参照される。たとえば、

「ここでいう「てつがく」とは、まさに「普遍的な読者に対してではなく」、対話をとおして「個別のひとに向かってする哲学(臨床哲学)」を想定しているからである。」(p.20)

という箇所では、鷲田清一の『「聴く」ことの力』(阪急コミュニケーションズ、1999年)が引用されており、また、

「未曾有の災害によってほつれてしまった「生身の個」は、自身の言葉によってのみ繕われうる。…なぜなら言葉は、自分自身の今の心のありよう(感情)を撚り合わせていく際にけっして欠かすことのできない、「心の繊維」に他ならないからである。」(p.20)

「まずもって「じぶんの言葉」による「人生の語りなおし」という営みが求められるのである。」(p.21)

という箇所では、同じく『語りきれないこと-危機と傷みの哲学』(角川学芸出版、2012年)が引用されている。
 個別で直接的な対話の重視、心を傾けて聴き取る聴き手に対して、ことばを語り出し、紡いでいく語りの重視。
 第1回目の資料として、石巻出身の作家・詩人の辺見庸の詩を配付したという。「ことばをあてがえ」と語る詩である。

「第1回目の「てつがくカフェ」では、参加者に以下の辺見庸の詩(新作詩「死者にことばをあてがえ」2011年4月18日脱稿)を配布した。被災地での「てつがくカフェ」は、まさにこの詩のうちに最後の「希望」のように託されている、言葉をとおしてのみ拓かれる気の遠くなるような「人(もしくは死者)に対する関心」を支えに始まった。

 死者にことばをあてがえ

 私の死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇のひとつひとつに
他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
…(以下省略)…」(p.30)

 書物では、全文が引用されている。

【臨床、あるいはケア】
 ところで、臨床哲学とは、現場に立ち合い、現場で成立する哲学であるが、ここで「床」とは、寝床でありベッドであり、さらに限定すれば、病床である。
 ことばとして、哲学者・中村雄二郎の「臨床の知」、ユング派心理学者・河合隼雄の「臨床心理学」から発想されたことは間違いないはずであるが、このさらに源流には臨床医学があるはずである。ベッドサイドにおいて、病を癒やす試みである。癒やすと言っても、山浦玄嗣や中井久夫、そしてもちろん鷲田清一らが語るような文脈で、cure(キュア-治療)ではなく、世話、看護、介抱し気にかけるcare(ケア)である。
 この書物においても、ケア、さらには、マッサージという言葉が、重要なキーワードとなっている。

「…シシリー・ソンダースも、…ケアの本質を、その最も深い意味において「そこにいること(Be there)」と表現していたし、何より、この度の東日本大震災と同じく、阪神・淡路大震災という過酷な状況のなかで医療支援活動に従事した精神科医の中井久夫や安克昌もまた、…まずは傍らに「居てくれるだけで価値がある」〈支援〉のあり方、さらには「『存在すること』による癒し」の可能性について早くから触れていた。」(p.110)

 法哲学者斎藤由紀子のことばの引用を再引用すれば、

「…ケアというのはえてして、能率・効率・合理化の対極にあるものです。周囲のあらゆる要素が、能率的・合理化を図ったあとでも、ケアだけは最後まで、人が自分たち自身の手でなさなければならないものとして残るでしょう。」(p.122 斎藤由紀子「『とき』を提供する」より)

【さらにマッサージ、そしてたこ焼き】
 マッサージということばについては、「凝り固まった専門職のイメージをマッサージする」(p.241)という節の見出しの前に、以下のように綴られている。

「…震災時、特にケアの専門職者である看護師には、何をおいてもみずからの専門的な技能を用いて被災者のために行動すべきであるといった献身的な心の構え、すなわち「忠誠心」などといった「やっかいな美徳」が求められ、またそのことを自らに過剰に課してしまっていたのではなかったか。そのやっかいな理想像と被災地でじっさいに自分自身がおかれている現状との狭間で、多くの看護師が自らの専門性に対するとまどいの声を挙げていたのではないか。もしそうならば、看護師などの医療専門職者などに向けられるそのようなこわばったイメージを一刻も早く問い直し、ほぐしていく必要がある。」(p.240)

 そして、そのこわばりに対して、

「いずれの対話においても、凝り固まった医療専門職者に対するイメージや看護の〈専門性〉、さらにはそこから生じてくる〈負い目〉の根っこが、参加者どうしによる粘り強い対話をとおしてゆっくりと解きほぐされ、マッサージされていく様子がみてとれる。」(p.246)

 その専門職としてのこわばりをほぐされたところで、支援を要する被災者の居ずまいをほぐしていける。

「関西風のたこ焼きをつくり、ただただ被災者を笑わせるばかりだったとして専門職としての自身の立ち位置に戸惑いを感じていたあの看護師は、本人も気がつかないところで、まさに今この状況で何が必要なのかを的確に感じ取り、先に述べた「看護師にとって大事なこと」をしっかりとこなしていたのではないか。もしそうであるなら…「たちの悪い〈負い目〉をいつまでも感じ続ける必要など全くないのである。むしろ看護の専門性を存分に発揮していたとさえ言える。」(p.268)

「哲学対話をとおして。凝り固まった専門職者観を根本的に問い直し、マッサージしていくこのような営みが。遠回しではあれ当事者の〈負い目〉をほぐすことに繋がっていく。」(p.268)

 マッサージの具体的な様子は、もちろん、ここで引用しなかった部分に詳しく記されている。

【哲学対話の流れと作法】
 最終章の末尾は、「哲学対話の流れと作法―当事者の価値観を〈ほぐす〉ために」という節(p.322)である。以下の項目それぞれに詳しい説明が付されているが、ここでは省略し、項目名のみ挙げておく。
(1)〈場〉を整える
(2)テーマを据える
(3)対等で安全な〈場〉を準備する
(4)話す-聴く-分ける
(5)考え方の切り口を共有する
(6)吟味・玩味する
(7)思考の〈参照軸〉を立てる

【甲斐賢治氏のことば】
 最後に、甲斐賢治氏〈せんだいメディアテーク アーティスティック・ディレクター〉の「距離と世間」が、賛辞あるいは解説として、置かれる。

「いわゆる非被災地と被災地の、あるいは非当事者と当事者の間にある溝…、深くて暗い谷…。SNSに膨大な情報があふれ、錯綜しており、谷の深さと暗さがさらに際立っていく。…メディアによってその谷に掛けられる安易な言葉の「橋」によって、さらに距離は増していく。
 これらの「距離」に、…鷲田氏の言葉を借りたなら、この「隔たり」には「回路」が必要だと考えた。」(p.349)

「…てつがくカフェは、僕にとっては夢のような時間だった。秩序と混乱が入り乱れ、蠢き、緊張とともに寛容がある3時間ほどの、まるで獰猛な生物のようなうねりのある時間であり、空間だった。…さまざまな人々の生活における実感や思いが交差する「世間」だった。…それぞれの顔や姿も見える3時間、目の前に真摯で寛容に満ちた場がたち現われる。…てつがくカフェの現場に立つとき、「世界は捨てたものではない」とそう具体的に心から思うことができた。この経験は、人の孤独を際立たせるものの孤立から救う、とそう感じた。」(p.350)

 最後に、蛇足を2つ。
 一つは校正漏れ。
 「流れと作法」の第6項「吟味・玩味する」の説明中、「ここではとくに、あらゆる前提を棚上げにし、すべてを根源的な死角から問い直し、〈吟味・玩味〉しようとする哲学本来の特性を最大限に生かすことが求められる。」(p.333)とある。
 ここの「死角」は、「視角」の校正漏れであろう。ただし、死角となってしまうような、あたかも根っこのように地中に隠された根源的な視角から問い直す、という含意もあるのだろう。「詩」としては成立する表現である。
 ちなみに、ここで言っている「哲学本来の特性」とは、デカルト的な懐疑のことであり、フッサールの現象学的還元のことである。
 もう一点。
 冒頭の「てつがくカフェ」のテーマ一覧中、2017年2月18日開催の#57「震災遺構」って何?の回とその前後、少なくとも3回程度、私も参加させていただいている。鷲田清一氏と、詩人の佐々木幹郞氏がおいでの際に、流れのなかで、私の自作の詩「船」を、妻とともに朗読させていただいた。一個の、現在はすでに失われた、記憶の中にのみ残る震災遺構についての詩である。詩の朗読はさておき、この時間が、私たちにとって、「心のマッサージ」ともよぶべき経験であったことは言うまでもない。

 


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