これは、1998年に発行されたロングセラーの改訂新版である。「ひきこもり」についての基本的な文献というべきだろう。
カバーの惹句を見ると、「精神科医として現場で「ひきこもり」の治療に携わってきた著者」による、「「ひきこもり」を単なる「個人の病理」でなく、個人・家庭・社会という3つのシステムの関わりの障害による「システムの病理」と」捉えて「正しい知識と対処の仕方を解説」した書物、ということになる。
改定版まえがきに、ひきこもりに対しての「マイルドなお節介」ということばが記されている。診察室の中や病棟内に引っ張り込んで治療しなければならないというのとは違う、しかし、放置しておくべきというのではなく専門家がきちんと関わっていかなければならない事態である、ということだろうか。
「私から見れば、ひきこもりは「病気の人」というよりは「困難な状況にあるまともな人」です。…支援を求めないひきこもり、支援を求めるひきこもり、いまは支援を必要としていないが、潜在的に支援ニーズを抱えたひきこもり、本人は必要としていないが親が支援を求めているひきこもり、など、さまざまな人がいます。
ならば「ニーズがないひきこもり」は放っておくべきなのか。それも違うと思います。今はかたくなに拒否していても、家族関係が修復されることで、そうしたニーズが生まれてくることがあるからです。だからこそ、機会あるごとにアプローチを試み、チャンスがあればニーズを尋ね、断られればまた次の機会をうかがっていきたい。
ちょっとお節介に見えるかもしれません。ただこのような「マイルドなお節介」という支援のあり方は、近年、依存症業界などでも推奨されつつあるようです。」(p.9)
そして、オープンダイアローグの可能性が新たに語られている。
「近年、私たちは、ひきこもり支援にオープンダイアローグ(開かれた対話)を応用することを試みています。」(p.10)
「実は私は本書において、当事者との「会話」の重要性を繰返し強調しています。日常的な気軽なおしゃべりを続けていくことが、本人との関係を改善し、安心/安全な環境を準備し、主体性を回復するうえで重要であること。」(p.10)
内容については、直接あたってもらうところであるが、「おわりに」で、「社会的ひきこもりの問題は、明らかに、精神科医が扱うべき問題です」と記されている。精神科医のみでなく、保健所等の機関も含めてであるが、「本書で述べてきたように、ひきこもり事例への初期対応は、それほど高度の専門性や、臨機応変さを必要としません。その意味では、ごく基礎的な常識を家族に伝え、それを家族が実行するだけで救われる事例がどんなに多いことか」と。経験を積んだ専門家がきちんと関わることが必要である。
さらに、「ついで重要となってくるのは、家族会と「たまり場」です」。また、「たとえパソコンを介してであっても、他人と繋がることはきわめて有意義である」ともいう。(p.241~244)
社会とのつながりの維持、回復が重要であるということだろう。
この書物は、診察室やカウンセリングルームに閉じこもり、個人の病理や心理にのみフォーカスするのでなく、家族や社会に開いていく姿勢の重要さが語られているものであるというべきだろう。オープンダイアローグへの可能性に開かれたものであり、また、ソーシャルワークの重要性に導かれていくものである、と私は読む。
ところで、本棚をよく見たら1998年刊の初版もあった。どこかの古書店で購入したようで、まだ、読んでいなかったかもしれない。
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