ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

3月31日(木)のつぶやき

2016-04-01 01:19:17 | つぶやきまとめ

【新歓ブース紹介】
気仙沼チームは新歓ブースを出してます!場所は10号館の402号室です。新入生も、在学生もお待ちしております。お菓子もあります??気軽にお越しください~~?? pic.twitter.com/gaHmC3r8RR

千田基嗣さんがリツイート | 4 RT

本日付けの読売新聞(多分全国版)にて、小森+瀬尾の巡回展について書いていただいています。「弔いの作法」という切り口で書いてもらったのははじめてかも。最後に巡回会場の募集まで載せてもらってありがたい、、会場はいつでも募集してますよ~! pic.twitter.com/bXlDEGNMZt

千田基嗣さんがリツイート | 12 RT

ひきこもりの暴力的支援も、乙武バッシングも、日本の現状がおよそノーマライゼーションからほど遠い状況にあることをうかがわせる。特に後者は「持ち上げること/貶めること」が表裏一体であるという意味で、われわれが一貫して差別的であったことが端なくも露呈した。

千田基嗣さんがリツイート | 239 RT

オープンダイアローグについては関心を持っている。 twitter.com/s_yamachan/sta…


私も、この本読ませてもらっている。「オープンダイアローグとは何か」 blog.goo.ne.jp/moto-c/e/a01dc…


「不可能性の中心」か。確かにそれは探求すべきことかもしれない。 twitter.com/a_kitada/statu…


今日の河北新報に「首長と教委権限曖昧」という見出し。奥山仙台市長が、教育長も経験しており、現行の法的な位置づけも熟知しつつ、「市長が最終責任を持つべきだと考えてきた」と語っているようだ。独立した執行機関としての教育委員会の制度の廃止、公選された首長への一本化はありうる選択だ。


今、普通の市民が、学校教育や、公民館などの社会教育に市長が責任を持たない、ということに納得するとは思われない。無責任に恣意的に持たないのではなく、一義的には「持てない」のだということが、スムーズに納得されるとは思えない。「教育委員会制度の廃止」ということも検討されていい。


いちばん反対するのは文部科学省なのだろうな。この本参考。新藤宗幸先生の岩波新書blog.goo.ne.jp/moto-c/e/e5616…
 あと、こんなことも書いていたな。blog.goo.ne.jp/moto-c/e/c3bb4…



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