2015年の熊谷育美さんのコンサートを前に、三陸新報に掲載いただいた文章。ブログには、まだ、載せていなかったようだ。
思い出話から始めれば、育美さんが中学生のとき、確か市民会館の中ホールであったが、とあるオーディションの記憶になる。彼女は中学校の運動着か何かを着て、一曲歌を歌った。さて、その曲がなんであったか思い出せないが、演出家は、彼女の歌を絶賛した。子どもっぽい唱歌風というよりは、少し背伸びしてJポップの歌手めいたあの歌唱は、いい歌なんだよ、力があるんだよと、地元のわれわれに語った。そして、その後、彼女は、舞台の上で重要な歌を歌う重要な役まわりを演じ切った。場所は、今回と同じく、気仙沼市民会館の大ホールであった。
15年余の時を経て、4月5日の彼女のコンサートでは、堤幸彦監督の最新作「悼む人」のテーマ曲「旅路」など、確かなテクニックの日本有数のミュージシャンによるバックバンドを従えて、深い情感の現れた歌を聴かせてくれるに違いない。自作の歌の世界を確かに演じきるように。
映画「悼む人」のラストに流れる育美さんの「旅路」は、まるでこの映画はこの曲を聴かせるためにこそ創られた長大なプロローグであったか、と錯覚させるような圧倒的な楽曲であり、歌唱である。
何曲か、ジャズ・ピアニスト岡本優子さんが、市民会館のスタンウェイのピアノを弾いてサポートしてくれるらしい。気仙沼出身のこのふたりの共演は、1+1=2だよ、ということを超えて、それが3にも4にもなるような不思議な共鳴、ヴァイブレイションがある。
先日、Kネットのニュースを見ていたら、育美さんのインタビューが始まった。インタビュアーは、市民アナウンサーのNさん。コンサートの告知が目的であるが、幼い頃から知っているふたりが、はじめはどこかぎこちなく、しかし、すぐにとても親しげに語り笑い並んでいる様子を見ながら、このところの私の見果てぬ夢をまた思い浮かべていた。
その夢がどんなものかは、今はまだ語るときではない。さまざまなものが、今はまだ成長の過程にある。変化生成の過程にある。
ところで、「旅路」の「私の祈りが 水平線に重なるまで」という歌詞は、現在の気仙沼において、奇跡の一行ともいうべき言葉である。「水平線」という言葉。その水平線に「祈り」を重ねる。「海と生きる」気仙沼が、ここからほんとうに再生する出発点を画す言葉となりうる。
その言葉を歌う育美さんの歌は、それにふさわしい力を持っている。今回のコンサートは、「海と生きる」私たちへの「おくりもの」にほかならない。
以上であるが、そうだ、私には未だに見果てぬ夢がある、2024年の現在においてもそうである。
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