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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

大竹弘二、國分功一郎 統治新論 民主主義のマネジメント 太田出版

2015-04-27 14:39:23 | エッセイ

 このふたりは、1974年生まれで、早稲田の政経の政治学科から、東大大学院総合文化研究科、つまり駒場の教養学部の上にある大学院を出たという、同じ経歴の学者。かたやは哲学、かたやは政治思想史が専攻ということだったようだ。

 國分功一郎は、すでに何冊か読んでいて、哲学者で、東京都小平市の市民運動に関わって、哲学側から地方自治論にアプローチしてみたいな流れが、一応は大学で哲学専攻みたいなことになっていて、市役所職員として地方自治について考えてきた私自身の興味関心と寄り添うというか、ある意味一致するというか、そういうことで、「来るべき民主主義」(幻冬舎新書)は、大変に興味深く読んだ。

 「統治新論」は、どちらかというと、元々哲学者である國分功一郎が、政治思想の専門家の大竹弘二の教えを請う、みたいな内容になっている。

 冒頭は、編集者が、ふたりに問いかけることから始まる。

 

 「大竹弘二さんは、…(中略)…現代の民主主義において、ガバナンスの危機を克服するために、アルカナ・インペリイ(統治権の機密)への回帰が起きていると指摘されてきました。また國分功一郎さんは、みずからの住民運動体験をもとに、行政への住民のアクセスが確保されていないことを問題にされ、特定機密保護法についても、行政府が情報を独占し、統治の主導権を握ろうとするものであると指摘されています。」(10ページ)

 

 政府において、立法、司法、行政の三権分立が説かれるわけだが、その中で、どの部門がいちばん力を持っているのか。

 たとえば、日本は、国会議員の中から首相を選出する議院内閣制をとっているように、立法部こそがもっとも力を持っているという建前になっている。

 しかし、現実は違うのだ、という。

 

 「いま大竹さんが指摘したように、歴史的には、生まれたばかりの近代国家は法治国家というよりも行政国家だった。」(國分 125ページ)

 

 歴史的には、行政部こそが力を持っていた。

 行政部とは、国王であり、その官吏であり、日本で言えば、将軍であり、幕府であり、と言える。西欧には、それなりに議会はあったが、言うまでもなく、日本には議会など存在していなかった。

 

 「だからこそ、それを主権による立法でコントロールするという課題も重要性を増したし、それを研究する学問の側もどうしても立法権を中心に据えて考えることになってしまった。」(國分 125ページ)

 

 行政部を抑制するためにこそ、立法部が重視されたというわけである。

 絶対的な権力を握る国王を抑制し、民主的なコントロールのもとに置くために、国民の代表としての議会が力を持つ。そのことが理念的に正統化されていく。これは、方向として全く正しいことである。

 しかし、その理念が強調されるあまり、行政権が優位を保っているという現実が見落とされてきたのではないか、と、著者たちは提起する。

 

 「その弊害というのは非常に大きいように思います。立法権で行政権を完全にコントロールすることは極めて困難であるわけですが、にもかかわらず、「立法権は行政権に優先する」という建前があり。しかもその建前を現実とすりあわせる作業が十分にはおこなわれてはこなかった。その結果、主権―国民主権の国家ならば、国民が統治に関してもっている最終的な決定権ということになりますが―から独立して行政が統治をすすめていく事態を十分に理論化できなかったのではないか。」(國分 125ページ)

 

 行政学者の間では、現実の政治のうえで、行政部が立法部よりも力を持ってきたことは自明の理であった、というより、統治とはすべからく行政であったというべきことのようである。

 行政学者であり、地方自治論の第一人者である西尾勝氏の著書「行政学の基礎概念」(東京大学出版会 初版は1990年)によれば下記のような事情である。

 

 「(行政の)概念の定義にあたっては、まず、立法と司法の概念について定義し、そのうえで統治から立法と司法とを控除した後の残余をもって行政と定義することが多い。この定義方法は統治の中から徐々に司法と立法が分化し独立していったという過去の歴史の経緯とも合致しているのである…(中略)…当時は、立法と司法の方こそ、まだその領域がごく狭く、例外的な存在だったのであって、統治の本体はすべて行政として残されていたのであった」(「行政学の基礎概念」4~5ページ 1996年第4刷から引用)

 

 「統治の本体はすべて行政として残されていた」、歴史的には、そうだったということであるが、実は今でも、行政部の優位ということは続いている。国においても、地方自治体においても事情は変わらないのである。

 國分功一郎氏は、「来るべき民主主義」に明らかにされているように、東京都下小平市の市民運動に関わることによって、この問題に直面したわけである。

 この「統治新論」は、肥大化し、さらに肥大化しようとする行政部を、どう市民的にコントロールするか、民主主義と立憲主義に立脚して、いかに国家と付き合っていくのかを骨太に議論した読みごたえのある対談、ということになる。

 ちなみに、民主主義と立憲主義というのは、つきつめると矛盾するものであり、最終的にどちらを優先すべきかという議論もありうるものであるとしつつ、しかし、両立しうるもの、すべきものであるという議論は、ナチズムにも加担したとされる行政学者シュミットや、ナチズムに迫害されたユダヤ人の哲学者であるベンヤミン、そして、人名だけ挙げていくが、ネグリ、ロールズ、ヴェーバー、スピノザ、アガンペン、ホッブス、デカルト、アレント、ハーバーマス、デリダなどを引き合いに出しながら、迫力をもって進められていく。

 私自身、市役所という三権分立の中では「行政部」に位置づけられる部署で仕事をし続けているわけだが、これは、まあ、そのとおりですね、というところが多々ある。ある限定された分野においては「権力者」の一端には連なるわけで自戒しつつということが必要であるということになる。ほんとうに小さな限定された分野に過ぎないのではあるが。

 

 さて、以下は、書きあげるために引用したところで、せっかくなので、そのまま紹介しておくことにする。実際に本を手にとって読んでいただければよいところであり、ここでは飛ばしていただいて構わない。

 

「「統治が政治的公開性の世界から離れて自立化するという事態」とは、国家の主権もしくは法律から統治の活動が切り離されていくということですが、僕の念頭にあったのは、1990年代から顕著になった新自由主義の流れでした。つまり、統治活動が外部委託、民営化されていく状況です。「国家を経営する」などというように、政治がビジネス・企業経営のメタファーやレトリックで語られ、経済合理性によって動かされるようになりました。」(大竹 11ページ)

 「ここに垣間見えるのは、国民のあいだの格差や貧困をなくすことよりも、国全体のGDPを増やすことを何よりも優先する考えです。少なくとも近代国家においては、「国民」でさえあればみなが平等に国家の決定に関与できるという建前がありました。しかしいまでは、その「国民」をないがしろにするかたちで、経済合理性や技術的合理性が国家の統治原理になっていく。」(大竹 12ページ)

 「「統治が政治的公開性の世界から離れて自立化する」という場合の「政治的公開性」とは統治が国民のチェックのもとで民主的にコントロールされるということです。その民主的なコントロールが徐々に及ばなくなっているということを「秘密」という言葉で表現しました。国民を基礎とする法や主権のもとで統治がコントロールされるという近代国家の建前が逆転し、統治をいかに効率的におこなうかが優先され、そのなかでいろんな法律が決められていってしまう。つまり、法や主権のほうが効率的な統治のための道具になってしまうという倒錯した状況です。」(大竹 13ページ)

 「大竹さんは、「主権vs統治」というかたちで問題を組み立て直した。すなわち、主権とは政治における最終的な決定権であり、その決定にもとづいて統治がおこなわれるというのが近代の建前であり理想であったけれども、そもそもそれは可能であるのかという問いですね。実際、現在では、統治が主権の手を逃れて自立的に作用するという事態が常態化しつつあるのではないか。」(國分 65ページ)

 「ここには近代の政治哲学の二つの思考モデルがあると考えられますね。行政・執行権力をなんとしてでも主権がコントロールすべきだし、コントロールできるとするシュミットと、網の目状の行政組織は主権の手を逃れて、勝手に統治を進めて行ってしまうと考えるベンヤミン。」(國分 107ページ)

 「いま大竹さんが指摘したように、歴史的には、生まれたばかりの近代国家は法治国家というよりも行政国家だった。だからこそ、それを主権による立法でコントロールするという課題も重要性を増したし、それを研究する学問の側もどうしても立法権を中心に据えて考えることになってしまった。つまり、前章で提示したシュミット対ベンヤミンの図式を使うと、行政権に対するベンヤミン的な認識がなかった。/その弊害というのは非常に大きいように思います。立法権で行政権を完全にコントロールすることは極めて困難であるわけですが、にもかかわらず、「立法権は行政権に優先する」という建前があり。しかもその建前を現実とすりあわせる作業が十分にはおこなわれてはこなかった。その結果、主権―国民主権の国家ならば、国民が統治に関してもっている最終的な決定権ということになりますが―から独立して行政が統治をすすめていく事態を十分に理論化できなかったのではないか。」(國分 125ページ)

 「(ジョンロックの)『市民政府論』(1960)では、何度も行政権に対する立法権の優位が主張されています。けれども、それは名目上の優位であって、実質的にどうやって立法権が行政権をコントロールするのかについての考察はないといっていい。」(國分 126ページ)

 

 


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