宮城県詩人会のやまうちあつしさんの詩集。昨年11月10日刊。
やまうちさんは、人あたりよく温厚でやさしく仕事もそつなくこなす印象で、私としても信頼がおける好ましい人物である。
とかいうと、詩人としては、誉め言葉になっていないみたいにも捉えられるかもしれない。無頼の大酒のみで女にもだらしない、みたいなほうが優れた詩人みたいなイメージかもしれない。まあ、そういう大詩人も確かにいたということではある。
詩集の冒頭は、「sound of silence」。訳せば、「無音の音」か。
サイモンとガーファンクルの同名の名曲があった。映画「卒業」の主題歌でもあった。ダスティン・ホフマンが主演だった。
「 生後
4分33秒
空気と水の気配が
話しかけ始める
好きやら
嫌いやら
何処へやら
行くのやら
耳を澄ましてみることが
生きることだと
ご先祖様がそそのかす
また次の
4分33秒
今日の天気が
話し始める」(以上、全文)
さて、「4分33秒」といえば、現代音楽のジョン・ケージの有名な作品である。名作、というよりは問題作、実際のところは、迷作と言ってしまうべき作品でもある。
頭でっかちの、考えすぎの、理屈とか、意図ばかりが先走りしすぎたような代物。音楽史上最大の駄作と評価されてもしょうがないような代物。
いや、むしろ、これは音楽史上最大の傑作のひとつというべきである。上記のような酷評をこうむることを、はじめから織り込み済みの作品。
舞台上にピアノが置かれ、ピアニストが舞台袖から登場し、椅子に座ると、おもむろにふたを開け、そのまま、鍵盤に触れることなく椅子に座り続け、4分33秒経過後に、ぱたんとふたを閉じる。それで、一曲お終い。音を鳴らさない音楽。ゼロの音楽、ゼロのリズム、ゼロの旋律。
念のため、ウィキペディアを調べると、正式な曲名は違うとか、4分33秒というのは、たまたま最初の演奏者がその長さで演奏(というか沈黙というか)した、ふたを閉じたことによる通称である、みたいな説明があったが、まあ、詳細は置いておく。
ここで聴くべきは、理屈であり、概念であり、思想であり、また音楽の歴史でもある、ということは一方で正しいはずだが、ウィキペディアによれば、通常の楽器が奏でる音ではない音を聴くのが、この曲の聴き方ということでもあるらしい。その場の種々の音、足の音、咳払いの音、空調の音、外から漏れ聞こえる音、風の音、聴衆自らの体内の音、その他もろもろ。
この詩では、生まれたばかりの無垢の子どもが、その最初の数分間に、身の回りの初めて経験する世界を感じとる、というか、能動的に感じとるということではなくて、子どもの体感、聴覚、未分化に触覚も含みこむような体全体の感覚に飛び込んでくる万物の存在を表現している。経験論の哲学者ジョン・ロックが、人間はタブラ・ラサ―白紙の状態で生まれてくるといった、その白紙に、淡い色彩が、一筆ひとふで、少しづつ染みこむように吸収され始めるそのときを描いている。
それは同時に、やまうちあつし氏が、耳を澄ませて聴いた音のことが表現されている、ということにもなる。現実に聞こえたのかもしれないし、聞こえるはずだと想念した音かもしれないが、そのあたりの差異はあまりこだわる必要がない。
二つ目は「とびどぐ」
「 俺は帰宅の途中(フラリ)
とびどぐ買い求め懐に(ガサリ)
笑う悪魔のように(ニヤリ)
ふきげんだけどじょうきげん(ユラリ)」
とこんな具合に、行末のカッコの中にに擬態語や擬音語を入れて繰り返す。「とびどぐ」とは、言うまでもなく宮沢賢治の童話「どんぐりと山猫」で、やまねこが書いた手紙に「飛び道具」(矢だの鉄砲だの)の意で書いた「とびどぐ」に他ならない。
ニヤリと笑う悪魔が不機嫌だけど上機嫌だというあたりは、藤子不二雄の「笑うセルスマン」のイメージだろう。
「…(中略)…
皆が寝静まるころ(スヤリ)
俺はとびどぐ取り出し(デロリ)
颯爽と構える(スチャリ)
本当に愛し合いたいから(テロリ)
こうする他にない(ホロリ)
ひとけない沼地にて(ドロリ)
ズドーン
「すてきよ」
ズドーン
「いい感じよ」」
昔の小林旭の、和風マカロニウェスタンの映画のように国籍不明で不自然で、かつ、日活ロマンポルのように(と言いながら私はほとんど観たことがないけれども)エロチックなシーンで、一編の詩が終わる。
ちなみに次の詩「帰りたい」は、宮沢賢治の『雁の童子』からの引用で始まるので、この「とびどぐ」が、宮沢賢治由来であることは間違いない。
というようなことで、やまうち氏の詩から逸脱して暴走して、連想の赴くままに好き勝手に書き連ねてししまったところだが、氏は、そういう言葉の歴史的な文脈を踏まえて詩を書かれているわけで、私は、うかつにもその仕掛けにうまく引っかかって、ぼろを出した、自白してしまった、みたいなことである。
後半には、聖書を踏まえた詩が並んでいるが、聖書の思想を書いているわけではなくて、聖書の言葉を言葉自体として切り取ってきて使っている、ということだろう。
表紙は、月か何かの、ほとんどモノクロの天体の上空を青いジョーロが飛ぶ絵で、黒白と鮮やかな深い青の対比が面白い。これは、誰の手になるものなのだろう。
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