ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

及川良子さんの詩

2015-10-18 22:23:29 | エッセイ

 霧笛同人の及川良子(ながこ)さんが、宮城県芸術協会の今年の文芸賞を受賞された。

 10月17日の土曜日午後、仙台市の戦災復興記念館に駆け付けた。会場の5階の会議室は満杯になっている。今年は昨年よりも多く130席用意したらしいが、足りない状態である。妻と二人、なんとか、ばらばらに席を確保することができた。

 聞けば、今年は公募作品の表彰式も兼ねており、小中学生の姿も見える。

 詩、短歌、俳句、川柳、エッセイと相当の応募があったようで、悦ばしいことである。

 わたしは、3年前、2012年に、「半分はもとのまま」で受賞しているが、その時は、せいぜいが30名ほどの参加だったと思う。観客は、ほぼすべてが各部門の受賞者のみであった。

 第1部の公募の表彰式が終わると、休憩のあいだに、観客は半減したが、それでも、ずいぶんと残った部類だと思う。わたしも、今回は良子さんがということで仙台まで出たものだが、この間は、観に来てはいない。

  良子さんの詩は、好きな詩である。常に清冽な抒情がある、と言おうか。透明でよどみがなく、しかし、深く、どこかに昏い悲しみをたたえている。霧笛同人の中でも、毎号作品を待ち望むファンが多い、と言って間違いないはずだ。

 霧笛の他に「舟」の同人でもいらっしゃる。

 一昨年だったか、詩のボクシング気仙沼大会で優勝され、代々木で開催された全国大会にも出場なさっている。

 さて、今回受賞の作品は、「砂浜は 貝の褥(しとね)」である。

 

 砂浜は 貝の褥

 たえまない波音が

 貝の 碧い水底の記憶を呼びさます

 

 雪の傘貝 べっこう傘貝 さくら貝

 桃の花貝 ちりぼたん たてすじほおずき貝

 石だたみ あずまにしき 蝦夷巾着

 腰高がんがら ちぢみ法螺 蝦夷ようらく

 つめた貝 くろたまきび 猿鮑 汐線蛤

 おおの貝 紫い貝 姫蝦夷法螺 ほっき貝

 蛍貝 すかし貝 長鈴かけ法螺 たまき貝

 コベルト舟貝 れいし貝 鰐貝 いぼにし

 蛸のまくら

 

 貝の珍しさ つけられた名のおもしろさ

 ことばの響きのゆかしさ

 

 だが 私は見てしまったのだ

 波の打ちよせたままに点在する貝たちが

 命名をはるかに遡って

 砂浜に在り続けるのを

 

 耳たちは唄う

 ただ

 いのちの歌を

 無言のままに

 

 貝たちは 何度も何度も書きしるす

 ただ

 いのちのめぐりを

 この砂浜に

 

 波を終わることのない調べとして

 

 貝たちよ

 とこしえに ここに在れ

 海の稔りの

 証として

 

 以上、全文である。

 ジャン・コクトーの例の、堀口大学が翻訳した「私の耳は貝のから」とか、大岡信のほとんど魚類と海藻の名前だけで詩にしてしまった「はる なつ あき ふゆ」が、この詩のすぐ手前で響いているかのように思い起こされることは言うまでもない。

 そして、そのうえで、良子さんは、別のひとつのことに気づく。

 生物は、進化して変化して新たな種が生まれる、ということになるが、その名称は、人間があとから名づけたものである。生き物自体の意志などお構いなく、人間の勝手で恣意的につけられた名称である。そんな人間の名づけよりずっと前から、人間が発見するそのずっと前から、この貝たちは存在している。不思議なことである。よく考えれば、不思議でもなんでもないことだが、でもやはり、不思議なことである。

 受賞の言葉にこうある。

 

「書いたきっかけは昨年9月に行われた赤崎海岸の生態調査だ。日本自然保護協会の方々が、砂浜の貝殻の名前を次々に教えてくれた。子どもの頃から親しんだ海辺での、この歳にして初めての真新しい発見、知らぬ事を知るよろこび。図書館に通った。砂浜に貝が点在する光景をみていると、あって当り前でない豊かさに思いが及ぶ。」

 

 普通は、詳しい学術的な名称など気にすることもないのに、教えられると興味が湧く。つい、自分でも、図鑑をめくって調べたくもなる。そして、実際に、図書館で調べる。ああ、そうか、この貝は、こういう名前なのか。学者たちはこう名付けたのか。ひとつひとつの名づけの由来に思いをはせる。なんとなく想像のつくものもあるが、何の意味があってのことかとんと思いが及ばないものもある。

 どちらにしろ、そんな名づけとは無関係に、貝は昔から存在していた。

 ところで、この詩は、海岸の詩である。仮設の住まいを出て砂浜を歩いて、座り込んで、砂の中に埋もれた貝殻を見る、拾う、集める詩である。この詩のまえには、これほど明確な海の詩は書いていなかったと思う。震災以降に。調査の日、子どもの頃から親しんだ小泉の赤崎海岸に、ひょっとしたら、はじめて足を踏み入れたのかもしれない。

 もちろん、この詩のどこにも震災のことは書いていない。しかし、この詩も、震災以降の詩であることは間違いない。あの津波の後にも、以前と同様に、貝は豊かに存在していることを発見した、再び発見した、という詩である。

 受賞の言葉に「あって当り前でない豊かさ」と、良子さんは書く。震災のまえには、あって当り前と思い込んでいた海の豊かさ。いまは、「当り前」ではない。「当り前」と思うことはできない。

 しかし、やはり、海は豊かである。わたしたちは豊かな海に生かされている。そのことを、いま、改めて発見している。

 


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