三陸新報社論説委員の近藤公人さんのエッセイ集。気仙沼の地域紙「三陸新報」に、平成17年から足掛け十年にわたって掲載してきたコラム「街談巷説」453篇から74篇を選りすぐった1冊。
まちの話題、国の政治向きのこと、酒のこと、保護司の話題、川柳について、ごく少々の色っぽい話題。
しかし、考えてみると、今はもう廃刊となっている宮城タイムスやみなと新聞のような、市内の政治ネタというのはない。ああいうたぐいのことは、もはや、あまりまちの人の関心を引かなくなっているのかもしれない。もっとも、そもそも三陸新報は、そういうたぐいの地域政治ゴシップとは一線を画して、継続してきたところではある。
しかし、思いだしてみると、私と真紀さんが結婚した時、みなと新聞のコラムに、市役所の千田と、瀬川一也の娘が結婚したとか書かれたものだった。私が28歳のときで、市役所に入って、最初の部署、図書館でおおぞら号の助手席に乗って、地域の貸出ステーションをまわっていたころだ。それで、どうしたということだったのかはすっかり忘れた。
このコラムには、そんな類のまちのゴシップは一切載っていない。
そういえば、こないだ読んだ、フローベールの「感情教育」にも出てきたような気がするが、当時の欧米の新聞は、社交界のゴシップ記事がメインだったようで、そうか、今の日本の週刊誌が芸能界のゴシップに溢れているのも同じことか。
2005年10月20日の「林間に酒を煖め…」は
「「白玉の歯に染み透る秋の夜は…」である。」(17ページ)
と始まる。
これは、若山牧水の「白玉の歯にしみほとる秋の夜の酒はしづかに飲むべかり」という短歌で、278ページに近藤氏自身が引用されている。2013年8月8日付け、「新百人一首~近現代短歌ベスト100~」を紹介され、落合直文にふれた後のところである。
若山牧水に負けず、近藤氏もまた、酒を好まれる。ただし、「無類の酒好き」とか「酒に溺れる」というたぐいの酒飲みではなく、古今東西の蘊蓄にも造詣深く、嗜まれる酒に違いない。
「燗は日本の食文化に育まれた独特の飲酒スタイルで、江戸時代中期以降に一般的になった―と何時か聞いたことがあるが、白楽天(白居易・772~846)の詩に「林間に酒を煖め紅葉を焼く」があり、燗の歴史は相当に古い。
紅葉好きで知られた平安時代末期の高倉天皇(在位1161~1180)は、僕たちが、大事にしていた紅葉の枝を折って焚き火し、酒を煖めて飲んでいると聞き及び、白楽天の詩の心を誰が教えたのか、なかなか風流だ―と咎めなかったという逸話があり、日本でも古くから酒を燗して飲んでいたようだ。」(17ページ)
2011年の震災前のところ、「老いらくの恋」、「月が鏡であったなら…」、「もしもし、生きてていいですか?」、2月24日の「弱きを助け強きを挫く」まで、人間の愛と別れ、古代からの月を詠んだ短歌、命の大切さ、児童養護施設へのタイガーマスクの名を借りた寄付のことなどを語り、3月11日を直前に控えた時期の文章は、なにか、予感めいたものを感じさせられる。不思議なシンクロニシティというのか。
震災後は、多くの檀家を失いながら、「めげない、にげない、くじけない」と語り続ける地福寺の片山秀光和尚の説法のことなど、現在の気仙沼の貴重な記録ともなっている。
憲法のこと、核兵器や原発のことなど、現代文明への警鐘もまた、繰り返し語り継がれるべきことである。
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