我が師、奥本大三郎先生のエッセイ集。
このひとは、読書を通して、ということでなく、普通の意味でも恩師。
元埼玉大学教授。フランス文学者。
もっとも、私がご指導いただいた時点では、非常勤講師だった。たぶん、横浜国立大学の講師か、助教授だったはず。
わたしが3年生の時、1年間、週に一度通って、ランボーの原典購読を担当された。「地獄の一季節」や「イルミナシオン」の前段の初期詩編を、ガリマール書店版だったかのペーパーバックで読んだ。
ボードレールは、別の先生で、3~4年生の2年間、学生は、私を含めて2名だったが、ボードレールよりはランボーのほうが人気があったようで、7~8名はいたと思う。残念ながら、翌年は、奥本先生の講義は開講されなかった。
私にとっては恩師であるが、先生にとっては、若い頃非常勤講師で訪れた先の、1年間のみの、何人かのうちのひとり、しかも、フランス文学専攻でもない、凡庸なその他大勢、というよりはほとんど落第生であるような学生である。記憶の隅に残っているはずもない。
現在、大阪芸術大学の文芸学の教授となられたが、考えてみると、壤晴彦さんも、いま、浜畑賢吉さんのつながりで、同大学で教鞭をとっておられる。毎週2日、大阪通いで、スケジュールが大分厳しいらしい。
で、この「マルセイユの海鞘」だが、こんな本をずーっと読んでいられたら、これ以上の幸せはない、という類いの本だ。
言うまでもなく、奥本先生は、虫屋、幼い頃からの昆虫の愛好家であり、ファーブル昆虫記の翻訳者として知られている。しかし学者としては、もともと、ファーブルではなく、ランボーの専門家である。同じフランスの、とはいっても、飯のタネは、はじめはランボーであり、幼い頃から慣れ親しんだファーブルはあくまで趣味の世界の住人であったわけで、後から出会いなおした、というようなことになる。ランボーの専門家としては、学問の世界ではさておき、一般にはそれほど名を知られてということではなかったはずだが、むしろ、本当に好きだったファーブルの翻訳という仕事に後から出会って、それで、世に高名となった、という経過になる。
日々の糧を得る仕事は仕事として精いっぱい取り組みつつ、ほんとうに好きなことも、諦めずに継続していく、ということは大切なことだ、ということを実証する好例ということになるのだろうと思う。幸福な出会い。
そういうわけで、この本は、ファーブルや虫のこと、フランス文学絡みのことに関わるエッセイが中心である。
冒頭の「フラミンゴの嘴」は、現在お住いの上野のマンションから、動物園が見下ろせるというお話であるが、「フランス19世紀の詩人ランボーは、『屋根瓦があたたまると下からダンゴムシが這い出すのさ』と友人への手紙に書いているが、暖かい風に当たって、寒がりで出不精な私も散歩に出る気になった。」(12ページ)と、虫のことを引き合いに出すというところは先生らしいということになるが、それがランボーの言葉であるというところが、さすが先生ということで、私などは、そこでうれしくなってしまう。
ランボーだとか、ボードレールだとか、フランス映画だとか、パリの街路だとかが出てくるとそれだけで、心楽しい。私が若い頃には、そういうエッセイがもっとたくさん出回っていた気がするが、最近は、ヨーロッパの文化に関わる読み物が減っているのではないか?そんな気がする。
そういうわけで、私は、そもそも、特段、虫に興味があるわけでもない。が、奥本先生の手にかかると、虫もまた面白いと思わされる、ということになる。
「コルシカ島糞虫採集記」は、地中海に浮かぶフランスの島、コルシカ島で、テレビ番組用に「ファーブルが生態を研究した糞虫、いわゆるスカラベの仲間を撮影」する話である。
「車から降りてあちこちにボタボタ落ちている牛糞を棒で崩してみると、糞の中身は湿っていて、いた、いた、大型、小型の糞虫どもが光を避けて右往左往、暗いほうへ潜り込んで行く。/しめた、とばかり片っ端からピンセットで摘んでは壜の中に入れようとすると、ディレクター氏が『待って、待って』と慌てて止めるのである。」(114ページ)
ほかほかの牛糞を突き崩して大興奮である。うれしくて堪らないらしい。テレビ撮影のことなど、すっかり忘れてしまっている。
想像してみるに、ぞっとしない光景ではある。想像するだけで、いかにも、匂ってきそうだ。
撮影が終わって、ごみ袋にたっぷり採集した糞をホテルに持ち込んで、風呂場で糞虫の採集三昧であるが、肉とワインの美味しい夕食の間中も、わくわくとそれを楽しみにしていたようである。ディレクター氏も、食後に付き合わされたという。迷惑な話であると思うが、相当に感化されてはいたのかもしれない。つらそうにしていたという記述はない。
「風呂場やトイレで人間は何をするか分かったものではないけれど、大量の糞を流した人は、私たち以前には、牛がこの部屋に泊まったことはないだろうから、まあ、無かった、と考えてよいように思われた。一種の新記録とでも言うべきか。」(118ページ)
たぶん、現在でも、世界記録に間違いないだろうと思われる。
「花の香りと恋心」というエッセイは、広重の東海道の版画や、「すべての道はローマに通ず」という古代ローマの松の並木道の話から、鴎外の「舞姫」のベルリンの大道「ウンテル、デル、リンデン」、菩提樹下の賑やかな往来の話、そして、ここでもかのランボー、「模範生なんかじゃいられない、/もう十七歳になってんだ。」という詩「ロマン」を引いている。それから、
「ここで急に話が変わるのだが、日本の街路樹は実につまらん、と思うのである。」(186ページ)
並木の樹種のことを(アメリカハナミズキが「文字通り『亜米利加洟木』になってしまう。」とか)ひとくさりくさしたあと、
「この前もあるところの植樹祭に行ったら、ソメイヨシノを千本も飢えるのだと言う。ソメイヨシノはクローンだし寿命はごく短い。ある時一斉に枯死することを皆知らないのか、何だか馬鹿々々しい気がした。」(187ページ)
ちょうど、先般、私もソメイヨシノはクローンであるという詩を書いたところであった。
さて、あとは、「太陽がいっぱい」の話と、「フレンチ・コネクション」の話か。どちらも、フランスが舞台の映画。大学の講義「フランス文化研究」で題材として取り上げたとのこと。
「映画を見せた次の時間解説した。…(中略)…時代背景、西欧社会の階級性、地理、シチリアの古い歴史、ヨーロッパの市場の雰囲気。アラン・ドロンが十七歳でヴェトナムの外人部隊にいたこと。その外人部隊なるもの。とにかく漫談的にだが、一生懸命喋った。」(231ページ)
こういう、講義は、ぜひ、受けてみたいものだ。
このエッセイ集を読めば、その内容が、もっと豊富に詳しく書いてある、ということになる。
「フレンチ・コネクション」については、エッセイ「マルセイユの海鞘(ほや)」に書いてある。
「ポパイというあだ名のニューヨークの刑事」は「あくまで単純な正義漢で粗暴なのに対し」、「シャルニエというヘロインを密輸するマルセイユのヤクザの親分」は「身嗜みもよく、振舞いは上品でそれこそシックなのである。」(235ぺーじ)
やっぱり、アメリカよりフランスである。アメリカは表面的でつまらない。フランスは奥深く興味深い。学ぶべきはフランスである。
「そのシャルニエがマルセイユの港の向い、例のモンテクリスト伯が閉じ込められたシャトー・ディフで、運び屋と打ち合わせする時、ふと足元の潮溜りから何かを拾い上げ、ポケットからナイフを出して切ると、歩きながら中身をむしゃむしゃ食い、皮をぽいっと投げ棄てる。/何だろうと思って画面を一時停止にしてよく見ると、海鞘なのである。」
うーん、ホヤ。
フランスと言えば、もちろんカキ。ホタテもウニもある。三陸海岸と共通している。そうか、ホヤまで食するか。
ちなみにこのエッセイ集は、先日読んだ小説「奥山準教授のトマト大学太平記」(幻戯書房)と対をなす、一種のネタ本といっても間違いではない。合わせて読むことをお勧めする。
特に埼玉大学教養学部の卒業生は必読。
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