見慣れた文字で、私の名前(と住所)が書かれた大きな封筒が届いた。TABLE FOR ONEの文字が堕円で囲まれたロゴが小さく緑色に印刷されて、名前と住所の手書きの文字も、印刷と同じ緑色。
封を開けると、透明なビニールに包まれた絵本のようなフォト・エッセイ。
表紙カバーの写真は、ご婦人がひとり、ご自宅のダイニングのテーブルに立ち、紅茶を入れている風情。
西村昌子さんは、気仙沼出身。ご実家は魚町の、内湾を見下ろす高台にある。今年77歳になられた。テレビドラマの脚本家として活躍なされ、国分寺にお住いである。
私は、20年ほど前、西村さんが、気仙沼で詩を歌う歌手のコンサートを開催するとときにお手伝いをしたことが縁でお付き合いをさせていただいてきた。新川和江の「私を束ねないで」をはじめ、現代詩人の詩ばかりに曲をつけて、ピアノの弾き語りをする歌手。
20年ほど前というと、いまの私とちょうど同じくらいの年齢ということになる。
プロローグに「Table for Oneという自宅ショップをオープンしたのは1998年、イースターの日でした。」とある。16年前か。そのことは、当時、お便りの中で知らされて、そうか、もうそんなに経つのか。いや、その最初のコンサートから、もう20年経つということ自体が驚きだな。
もっとも、私は、国分寺のお宅を、いちども訪問したことはない。
「ずーっと、以前のことです。JR中央線国分寺駅からそう遠くない場所で、幅広の路地の奥にある土地を見つけ、秘密めいた雰囲気に誘われて小さな家を建てました。」(6ページ)
その庭は、アーリー・アメリカン調のカントリーブルーを基調にしたもので「門扉を開けると、玄関までのアプローチとすぐ右手に中門があって、大きなハナミズキや椿、金木犀の樹が覆いかぶさるような狭い庭があります。」(9ページ)
「Table for One開催日にはハナミズキの下で、焼き立てのスコーンと紅茶をゆっくりと…」(10ページ)
ちょっと自慢したい我が家のスコーンは「小麦粉とバターに砂糖、卵黄、牛乳をボールにアバウトにかき混ぜて、スプーンとフォークで適当に丸め、天板に並べてオーブンで30分ほど焼き上げるだけですが、一流ホテルや洋菓子店のスコーンより美味しいと、ファンが沢山います。」(47ページ)
西村さんの、生活の趣味。彼女のウェイ・オブ・ライフ、生活の流儀、みたいなもの。
東京西郊の、小さな庭付きの小さな木造2階建ての家。
家具や小物や食器やお菓子。
こうして、長く暮らし続けてこられたこと。生活の趣味を実現してきたこと。小さな、しかし、趣味のよい、質の高い生活を実現してきたこと。それが、ふつうの暮らしであること。畳はなくて、日本茶よりも紅茶が似合って、リビングやダイニングのある洋風の小さな家。そういう家で、77歳の西村さんがふつうに暮らしていること。
これが、現在の日本の暮らしのひとつのかたちであること、それが、気仙沼で生まれ育った方の暮らしであること。
和風にまったり暮らすことの価値が見直され、それこそ、現在の贅沢である。それはそれで、まったくその通りだと思うが、それは、椅子やソファで日常を過ごす生活が、ごく当たり前の生活であるという現在があっての一種反転した価値である、ということも間違いのないことだ。洋風の良質の生活がある、それがごく普通にあるということがあるからこそ、もう一方で、和風の生活の価値も生まれるのだ。
それが、現在の日本という国の文化である、と私は思う。江戸や明治に生まれたのではない、昭和以降の現在の日本に生まれて成長してきた私たちにとっては、そういうことだ。
私の妻にとっても、西村さんは、憧れの先輩。いちどは、国分寺の西村さんのお宅を訪問してみたいものだ。上京の折には、息子の暮らす武蔵境までは行っても、なかなかその先までは足を伸ばすことができないでいる。次の機会には必ず、と思う。
カントリーブルーの門扉を開けると、その先の中門の向こうからピーター・ラビットがこちらを振り返って、ようこそ、いらっしゃいと声をかけてくれる。そんなこともあるに違いない、と想像される、そんな小さな家に違いない。
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