ぼくは行かない どこへも
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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

菅原茂気仙沼市長の市広報のコラムに大切なことが書いてある件

2020-05-18 21:44:38 | エッセイ
 気仙沼市の菅原茂市長は、市広報5月1日号のコラムに「コロナの渦中にて」と題して、次のように書いている。

「1月から始まったこの騒ぎの中で、勉強になったこと、考えさせられることが多々ありました。」

 市民が疑心暗鬼になる中で、SNSにより不確かな情報が拡散され、傷ついた個人や事業主がいたことは残念なことであり、感染情報について気仙沼保健所の適切な対応が必要であると述べたうえで、

「気仙沼保健所長は感染症の専門家で国際機関でも活躍したドクター。公衆衛生対策、積極的疫学調査、まん延期への備え、市への必要な情報提供など適切な対応をいただいています。」

 と、その仕事ぶりを評価し、感謝の意を表している。(感謝という言葉自体を使っているわけではないが、文意は明らかである。)
 保健所長は、県行政の一員、広い意味での国家の官僚組織の一員であり、かつ医師資格を持つ感染症の専門家であるとのこと。専門性を持つ官僚(テクノクラート)として、きちんと役割を果たしていただいているということになる。
 現在の日本において、専門家として、官僚として、なすべき仕事をしている。こういう存在が地域を、さらに言えば、この日本を守っているわけである。こういう存在に対して信頼がおけるということ、それこそが、われわれ国民が日本という国に住んでよかったと思える源泉となっているわけである。
 菅原市長は、続けてこう書く。

「日本中、世界中で毎日、多くの決定がなされ、会見も開かれています。感染封じ込めに長けているのは、強権国家か民主国家か、終息後を見据え、自国第一か国際協調かなど、近年、経済を中心に多くの意見が交わされてきた国家体制の優劣もクローズアップされてきまし た。最終的に民主主義・国際協調に軍配があがるものと信じています。
 ディール(取引)で短期的な成果を上げてきた政治手法が、ディールが通じないウイルスの前では無力だったことも明らかになりました。対照的に平易な言葉と優しい語り口で国民に協力を要請することの大切さや、理性の最大公約数を静かに国民に語りかける態度 など、世界の政治指導者がさまざまに評価されています。もとより、政治はなるべくディールを行わず、正しいことを真摯に説明、説得することが役目であり、その要諦と改めて確認することができました。」

 〈ディール(取引)で短期的な成果を上げてきた政治手法〉というのは、アメリカのトランプ大統領の事であろうか。〈理性の最大公約数を静かに国民に語りかける態度〉というのは、例えばドイツのメルケル首相やデンマークのフレデリクセン首相の事であろうか。
 政治において普遍的な理性が必要なこと、一方で、自由すぎる市場での勝った負けたの取引めいた政治判断が危険なこと。不動産だとか、株式だとか、お金がお金を産む仕組みのなかで勝ち上がろうとするようなメンタリティは、政治家には不適切であること。
 繰り返しになるが、菅原市長は、こう述べる。

「もとより、政治はなるべくディールを行わず、正しいことを真摯に説明、説得することが役目であり、その要諦と改めて確認することができました。」

 菅原市長は、大手の商社で海外勤務も経験し、その後帰郷して水産会社の経営に携わった後、自民党の小野寺五典元防衛大臣の秘書として政治家の経歴をスタートした人物である。市長も代議士も(私も)、この気仙沼で生まれ育ち、小・中・高と同窓である。同じ時代を同じ場所で育ってきた人間が、基本的なところで同じ価値観を共有する。
 これからの日本の政治というのも、こういう、生活の経験に基づいた価値観を共有しえている、というところから出発すべきなのだろうと思う。そのうえで、議論すべきは議論する。

「一日も早く、自由に出かけ、人と会い、話をする、当たり前の日が迎えられるよう祈っています。その時が来るための感染拡大防止、その後の市民生活・経済の立て直しの準備に怠りなくあたりたいと思います。」

 と、菅原市長は、コラムを閉じる。
 当たり前と思っていたことが、実はやすやすと崩れ去ってしまう危険を秘めている。市民生活を守るということは、本来の意味での経済を成り立たせるということのはずである。経済とは、経世済民、世の中のひとびとの生活を守っていくために必要なモノやサービスを提供する仕組みのことであって、決して金が金を産む仕掛けのことではない。お金とは手段であって、目的ではない。
 最近、気仙沼においても、若者たちが、金を儲ける起業ではなく、NPOなどの形で社会に貢献しようとする起業、収奪するのでなく、贈与する企業体を立ち上げようとしている姿が多くみられるようになっている。ひたすら競争し、はてしなく成長しようとする経済ではなく、ダウンサイズしていく世界のなかで支え合う経済。そんな方向に市民生活を、経済を立て直していけるのであれば、と思う。
 見果てぬ夢、だろうか。
 ちなみに、気仙沼市が認証を受けたチッタ・スロー、スローフード・シティというのはそういうことのはずだ。
 それと、時宜的なことをいえば、それぞれの場所で矜持をもって生きる市井の人びとのなかで、矜持をもって専門家としての使命を果たす官僚の存在、というのも大切。

※参考文献 もっとたくさんあるが、まあ、とりあえず4冊ほど。

神野直彦 経済学は悲しみを分かちあうために 私の原点 岩波書店

平川克美 グローバリズムという病 東洋経済新報社
(平川克己は、『小商いのすすめ』から始まるのだが、まだ、このブログで紹介を書く前だったようで、これにしておく。他にも、何冊か紹介をアップしている。)

國分功一郎/山崎亮 僕らの社会主義 ちくま新書
(山崎氏は、いまの気仙沼市総合計画策定のコンサルタントをつとめた会社代表にして、東北工科大学教授)

井出栄策/柏木一惠/加藤忠相/中島康晴 ソーシャルワーカー―「身近」を革命する人たち ちくま新書

※これは文献の紹介ではないが、
藻谷浩介氏講演会を聴いた


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