ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

月刊社会教育2021.7月号 特集「復興」の担い手の思想と学習 旬報社

2021-08-26 10:58:33 | エッセイ
 この雑誌ははじめて読ませていただいた。フェイスブックで、気仙沼、南三陸町の方々が執筆されているとの情報で、さっそく買い求めた。

【本吉町に学べ、「社会教育」=「地方自治の学校」】
 さて、「社会教育」といえば、私自身、市役所在職当時は、最初と最後が図書館勤務で、社会教育畑とはなるところである。最後の7年間のうち、1年間のみの気仙沼図書館長職をのぞいては、本吉図書館長を仰せつかっていたが、閉架書庫に数冊の蔵書があり、戦後早々の時期に本吉町が全国でも社会教育、公民館活動の先進地であったことを知った。現在でも、地区ごとの自治会、町内会にあたる振興協議会の活動が盛んな地域である。社会教育とは、本来の意味での政治への参画ができる公の市民、公民を育てることが目的であり、公民館の名称の由来もそこにあるわけで、つまり、社会教育とは地方自治の学校にほかならない。もちろん、それが同時に、民主主義の学校となるわけである。
 本吉町の振興協議会活動とは、その理念が、脈々として生きてきた実例というべきであろう。本号掲載の三浦友幸氏の報告は、その歴史のなかで生み出された結果と言うべきである。
 私は、気仙沼市役所本吉総合支所管内の管理職の一員として、連絡会議などに参加する中で、本吉町区域の住民自治の取り組みは、合併後の気仙沼市として見習うべきものと常々観じてきた。合併を経て、同じ自治体の中に学ぶべき先進事例があるということになる。組織風土は、どうしても、大きな方の空気感に流されてしまう。残念なことであった。今この時点に至って改めて、気仙沼市の自治は、本吉町に学べ、とスローガンを掲げたいところである。

【気仙沼・中村みちよさん「フリースペースつなぎ」】
 さて、巻頭言の「かがり火」に、フリースペースつなぎ代表の中村みちよさんが「震災を機に、あらためて「学び」を追い求めて」と題し、気仙沼の自宅を開放して開設しているフリースクール「フリースペースつなぎ」の活動を紹介されている。宮城県内の同志を糾合した「多様な学びを共につくる・みやぎネットワーク」を設立、その代表も務められている。

「震災、不登校、多様な学び……深いテーマが重なり合い、「つなぎ」という場が生まれ…た。子どもと若者・地域の人々・行政、過去と未来、命と命……それらを「つなぎ」ながら、これからも終わりのない学びのたびを続けていきたい。」(1ページ)

 と、巻頭言から気仙沼での活動報告であるが、以下、特集の記事はすべて、お隣南三陸町と気仙沼市からのもの。両市町は、もともと宮城県本吉郡の区域で一体の地域である。

【南三陸町・工藤真弓さんらの「かもめの虹色会議」】
 はじめのインタビュー「「かもめの虹色会議」で守った渚をこれからに活かす」は、南三陸町の「かもめの虹色会議」で活動を続けてこられた、工藤真弓(上山八幡宮禰宜)、鈴木卓也(南三陸ネイチャーセンター友の会代表)、太齋彰浩(サスティナビリティ・センター代表理事)、3名のお話を、石井山竜平さんという方がオンラインで聞き手としてまとめたインタビューである。
 
「町職員らを含む443名が犠牲になった旧町防災対策庁舎跡地を含む、南三陸町の震災復興祈念公園(6・3ヘクタール)が、2020年12月、全体開園した。」

 その公園の計画づくりを審議した「志津川地区まちづくり協議会」のなかで、中核的な役割を果たしたのが「かもめの虹色会議」(2013年5月開始)であり、震災後の防潮堤のこと、まちづくりへの住民の参加のことが語られる。

「工藤 …震災復興祈念公園…開園前から、今後この6ヘクタールの大きな公園をみんなでどう見守っていくのかが課題でしたが、2020年11月に「さんサンポートプロジェクト」という、祈念公園周辺を考える会を立ち上げ、およそ毎月話し合っています。」(3ページ)

「大賀 「かもめ」って、メンバーは入れ替わっていくのだけれど、100回も続いているのはすごいことだと思う。…場の空気感がいい。真弓さんが作る「かもめ」の雰囲気がすごくフラットだし、自由に意見が言えるし、柔らかいですしね。
鈴木 基本、対話をする人なのです。対話を打ち切ったり、拒絶をしない人なのだよな。人は意外とそれができない。…真弓さんはそこがすごいと思いますね。
大賀 天性のファシリテーターだと思います。」(7ページ)

「工藤 私はこの街に生まれて、…家業が神社なので…大学を出て福祉の仕事を東京でするなどして、戻り、神社を継いだのです。…神主の役割とは、町の人に神様の思いを中継する、「なかとりもち」というのですけど、間に入ってこの方はこういうふうに思っていますと伝える役割なのです。…その場をとりもつ、つなぐ、そういうのが凝縮している役割であることが、神主をしながらわかってきた。」

 まさしくまちづくりであり、社会教育である。そして、対話の重要性が語られる。
 工藤真弓さんは、南三陸町志津川で、短歌とも違う短詩形の一種である五行歌に取り組まれている方がいるということで、新聞紙上でエッセイなども拝見したことがあり、お名前は存じ上げている方であるが、「天性のファシリテーター」であるという、なるほど。

【宮城教育大学・山内明美さん〈三陸世界〉の伝承】
 続いて、歴史社会学、民俗学の山内明美さん(宮城教育大学准教授)は、南三陸町出身で、キーパースンの一人として、工藤さんたちのインタビューにもお名前が出てくるが、ここでは「〈三陸世界〉に生きるということを学ぶ」と題して報告されている。
 実は、山内さんは、今年『現代詩手帖』3月号の震災後十年の特集にも執筆され、このブログでも紹介させていただいたところである。「特集・詩と災害 記憶、記録、想起」に、「共時的記憶の《世界》」というタイトルで、海辺の里の伝説について報告されている。
 今号の報告の冒頭は、安藤昌益の言葉から始まる。

「今から260年前、青森県八戸市で町医者をしていた安藤昌益は、この世(法世)で起きる災害は、すべて人災であると喝破した。」(12ページ)

「東日本大震災後の復旧・復興事業によって、郷里の風景が変貌をとげていくなかで、ある時点から私はこの場所を、あえて〈三陸世界〉と呼ぶことにした。…そうまでして名づけなければ、私たちは、この〈世界/故郷〉の、何を喪失してしまったのかがわからなくなってしまうのではと思った。…三陸沿岸が遅ればせの“近代化”を経たとき、海や山から物理的、精神的に人々が遠のき、立派な高速道路と巨大な防波堤だけが屹立しているただの空間になれば、この場所は生きられる故郷ではなくなるだろう。」(12ページ)

「海と生きるということは、豊穣と災厄とをあわせ持って生きるということでもある。三陸の漁師は、この世とあの世を毎日のように往還しながら、生まれ変わってはまた海へ漕ぎ出すのであり、死にゆく彼岸の海から、豊穣の生を持ち帰っては、その命をつないできた。…〈三陸世界〉に生きることは、その絶望的に巨大な環太平洋に小さな舟を漕ぎだす漁師の生き様そのものでもあるだろう。」(13ページ)

 詩のような、美しい文章である。学問も、特に民俗学はそうであろうが、美しい言葉で書かれなければいけないのだ、と思わされる。
 山内さんは、大学に閉じこもるのでなく、生まれ育った南三陸町において、子どもたちに関わり、〈三陸世界〉の伝承をつなげていこうとされている。

「「東日本大震災の翌年から始まった南三陸町内の中学校での総合学習授業「南三陸 森里海連環学」は9年目を迎えた。…「森里海連環学」は、京都大学フィールド科学センターより看板をお借りして開催してきた。」(15ページ)

 「森里海連環学」といえば、気仙沼市舞根在住の畠山重篤氏は「森は海の恋人」運動の創始者として知られるが、「京都大学フィールド科学センター」の社会連携教授を務められている。山内さんは、畠山重篤氏のこと、また、震災以前から、地域の海との暮らしをテーマとして常設展を展開していたリアス・アーク美術館にも触れられる。リアス・アーク美術館は「気仙沼市と南三陸町が共同運営して」おり、震災後、「東日本大震災の記録と津波の災害史」を常設展示しているところである。
 山内明美さんの〈三陸世界〉は、生まれ育った南三陸町志津川に深く根差したものでありながら、お隣である気仙沼へのまなざしも深く、もちろん、その名の通り、南隣の石巻から、北は青森県に至る三陸沿岸の土地すべてを包含するものである。

【本吉町大谷地区・三浦友幸さん「大谷里海(まち)づくり検討委員会」】
 気仙沼市本吉町大谷地区在住の三浦友幸さんは、一般社団法人プロジェクトリアス代表理事、「防潮堤を勉強する会」発起人、「大谷里海(まち)づくり検討委員会」事務局長であり、気仙沼市会議員ともなられた・

「…あの日から10年、東北の被災沿岸部には、巨大な防潮堤の建設が進んでいる。…景観や環境、防災などをめぐり、多くの浜で住民と行政または住民どうしの激しい対立を生み出していた。…
 しかし、大谷地区(気仙沼市旧本吉町)では、地域が分断することなく最後までひとつにまとまり、各行政機関と協働することで当初の計画を大きく変更し、地域のアイデンティティである大谷海岸の砂浜を守ることに成功した。また気仙沼市民有志による「防潮堤を勉強する会」は、この防潮堤計画を、賛否を超えて中立的立場で学習する機会を作るという方法で、大きな影響を与えた。以下、大谷地区住民として、また気仙沼市民として、両者に直接関わってきた立場から、これまでの活動の一部を紹介したい。」(18ページ)

 大谷地区の活動は、本吉町における振興協議会の活動、社会教育からまちづくりと連綿と続いてきた住民自治の伝統が、震災後、改めてその力量を発揮したというべきであろう。
 一方、気仙沼の中心部を起点に、新しい自治の動きが始まった。

「2012年8月、防潮堤に関する議論が激しさを増すなか、気仙沼市では、市民有志による「防潮堤を勉強する会」が立ち上がった。市内全域を対象に、防潮堤に対して中立的かつ多角的な視点から、この計画を市民が勉強し理解することを目的とした会である。…発起人メンバーの多くは気仙沼市内の企業の代表の方で、地域産業を牽引してきたリーダーの方々だった。…この反対運動でも推進運動でもない中立的なスタンスからの活動は広く注目を集め、防潮堤の議論は社会問題となっていった。」(20ページ)

「…第一に、制度に詳しい市民が多く生まれた。さらに勉強する会の活動が大きな注目を浴びたことで、防潮堤問題に社会の目が入り、住民合意をないがしろにした進め方はできない状況をつくりだし、行政との話し合いの場において、住民の立場を行政とある程度対等な位置まで押し上げることにつながった。」(20ページ)

 この「勉強する会」の活動は、現今の地方自治の世界においても、特筆すべき成果、といえるものと思っている。

「地域によっては防潮堤の際に生じた対立がコミュニティに残っている浜もある。しかし、こうした対立の問題を突破した事例はいくつか存在する。そして、事業ありきで進む、いわば「逆立ちの計画」と言われた防潮堤事業を越えようと、市民や行政、専門家がともに闘った痕跡は、三陸沿岸のいたるところに刻まれている。たとえ、風景が変わったとしても、そこには海と人の暮らしを別つまいとした、人々の思いが込められている。」(23ページ)

 と、三浦さんは、論を閉じる。私よりずいぶんと若い世代であるが、この学びの姿勢と経験は敬服せざるを得ない。

【気仙沼の復興における〈中立的な勉強会〉という奇跡】
 ところで、「この反対運動でも推進運動でもない中立的なスタンスからの活動」というのは、実は相当にアクロバティックであり、そうやすやすと成立し得るものではない。現今の社会状況、政治状況の中では、まさに奇跡と呼ぶべきものである。ふつうには、行政の意に沿わない活動は、すべて反対の側に押し出されてしまうのが落ちである。行政に賛成ではない、と言ったとたんに、反対者とレッテル張りされてしまう。中立、などというのは、塀の上の本当に狭い道筋を歩み続けるようなものである。
 この危うい経路を踏み外さずに渡ることが可能であったのは、「気仙沼市内の企業の代表の方で、地域産業を牽引してきたリーダーの方々」の存在があったからこそであり、その力業を成し遂げたリーダーたちのなかのリーダーは、次に登場する菅原昭彦さんである。

【気仙沼商工会議所・菅原昭彦会頭とリアス・アーク美術館・山内宏泰館長】
 座談会「気仙沼の復興思想とリアス・アーク美術館(その1)-スローフードと「方舟日記」の出会い」は、気仙沼の経済界のリーダーと美術館長の対話である。造り酒屋(株)男山本店社長の菅原昭彦さんは、気仙沼商工会議所会頭であり、「防潮堤を勉強する会」の代表者、そしてスローフード気仙沼の理事長、観光振興やまちづくりの会社、団体の代表者でもある。「経済界」と限定する必要もない「気仙沼のリーダー」である。山内宏泰リアス・アーク美術館長は、美術作家であり、生え抜きの学芸員、スローフード気仙沼の理事でもある。聞き手は地元小学校教員の阿部正人さん、環境問題、環境教育に多大なる関心を持ち実践もされている「もの言う」教員である。
 なおこの記事で、菅原昭彦氏の所属が「防潮堤を考える会」と紹介されているが、三浦友幸さんが書いている「勉強する会」のほうが正しいはず。
 私自身、実は、スローフード気仙沼の創立時からの平会員で、県の補助メニューを活用してスローフードを最初に市の事業に乗せた担当であったとか、石巻市出身の山内宏泰を、美術館内から気仙沼の街中に引っ張り出してきた張本人であるとか、書き出せばいろいろ書くことはあるのだが、ここでは割愛する。
 二人は、海と共に生きる気仙沼のまちの成り立ち、自然環境、森川海の連環、漁業の歴史、食の豊かさ、津波の被害、リアス・アーク美術館の思想、役割、スローフード運動の始まりと意義など語る。大震災の災後のまちづくりの話である。
 今回はその1であり、次号にも続くらしい。

【南三陸町「奏海の杜」太齋京子さん、気仙沼市「底上げ」成宮崇史さん】
 次は、南三陸町の特定非営利活動法人「奏海の杜」代表理事である太齋京子さんによる報告、「障害があってもなくても集える、学びと交流の拠点づくりへ―「奏海(かなみ)の杜」の10年」。

「NPO法人奏海の杜は、…南三陸町で被災した障害者を支援しようというボランティア活動から始まった。当初から掲げている法人理念は「障害があってもなくても誰もが自分らしく暮らせる地域」である。」(32ページ)

「…大人の場所に障害のある子の日中活動の場を併設し、ボーダレスな雰囲気で大人が生き生きと活動する姿を近くで見るのは、子どもにとって最高の社会勉強ではないかと考える。読書スペースと簡単なカフェも常設し、…多様な人がいることが特別ではなく日常となってほしい。」(37ページ)

 成宮崇史さん(認定NPO法人「底上げ」事務局長)は、震災後に、被災地気仙沼にIターンした人材のひとりであり、「気仙沼の子どもたちとともに歩んできた10年間―できる感覚を、うごく楽しみを、生きる喜びを、すべての若者に」を報告されている。地域としてたいへんな時期に、気仙沼を発見して来訪され活躍を続けられているということは、ほんとうにありがたいことである。こういう若者たちが、日本の社会が変っていく原動力となるのだろうと期待している。

 ところで、この特集は、まさしくこの8月28日(土)・29日(日)に予定されている「第60回社会教育研究全国集会(南三陸集会)オンライン集会」に合わせて企画されたもののようである。2018年には「地域文化を総動員して地元住民が再建したコミュニティ・センター(気仙沼市前浜)で行われた日本公民館学会7月集会」というものも開催されていたらしい。

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